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日蓮宗メールマガジン9月号

【今月の法話】

「嫌な自分も私自身」

昨今、よく耳にするようになった「修羅場」という言葉。その修羅場の修羅とは執着することや争いの絶えないことをいいます。修羅すなわち阿修羅はもともとインド神話の中で、正義の神様として崇められていました。
阿修羅には美しい娘がいました。ある時、力の神様・帝釈天が、その娘を一目見て気に入り、彼女を連れ去ってしまうのです。父親の阿修羅は激しく怒り、帝釈天に戦いを挑みましたが、負けてしまいます。しかし怒りは収まらず、帝釈天と何度も戦っては、繰り返し負け続けます。その結果、阿修羅は神々の世界である天界から追放されてしまったのです。正義から戦った阿修羅ですが、次第に父親の面子に固執し、復讐することに捉われてしまったというわけです。
しかし、もし自分の娘を連れ去られたら、親としての阿修羅の気持ちには多くの人が共感できると思います。すなわち「修羅の心」は誰にでもあるのです。
斯くいう私も、道路に面したお寺の参道に毎朝煙草が捨てられているのを見るたび。そして掃除するたびに「一度見張って犯人をつきとめ、文句を言ってやりたい」と思ってしまいます。さっと拾えばいいのですし、ポイ捨ての現場を見たら注意すればいいだけの話なのですが、やられたらやり返したくなってしまいます。このように修羅の心がふと芽生えてしまう瞬間がいくつもあります。
日蓮聖人は『重須殿女房御返事』に「地獄も仏も私たちの身体の中に存在するものです」と示していらっしゃいます。つまり、大切なのは修羅の心が自分の中にあるのだと認めることであり、嫌な自分も自分だと認識する事。それこそが仏様へ近づく第一歩なのです。
さて、天界を追われた阿修羅はどうなったかといいますと、お釈迦様の説法を聞きに行きます。そして、これまでの罪を懺悔し、仏法の守護神となりました。あの怒りを秘めたような、愁いを込めたような、葛藤するような三面六臂の阿修羅の表情は、様々の思いがありながらも悪神から善神となった姿なのです。
どんな心を持っていても、教化によって良い方向へと導かれた阿修羅。それは私たちのお手本なのかもしれません。

【お知らせ】

日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

2日  月例金曜講話
12日 龍口法難会
19日 彼岸入り
22日 彼岸中日
25日 彼岸明け
28日 いのりの日