ホーム > 寺院めぐり > のんびり行こう ぶらりお寺たび > Vol.5 石川 羽咋・金沢 北陸で受け継がれる日蓮聖人の祈り

バックナンバー
のんびり行こう ぶらりお寺たび 〜月刊「旅行読売」編〜
のんびり行こう ぶらりお寺たび 旅で出会った名刹で日蓮聖人の教えに触れる。そっと手を合わせ、癒やしのひとときを。

Vol.5 石川 羽咋・金沢 北陸で受け継がれる日蓮聖人の祈り

日蓮聖人の孫弟子、日像上人が「京都布教」への第一歩を踏み出した北陸で、日像上人の足跡をたどり、加賀前田家の法華信仰に出合う。

七堂伽藍が立ち並ぶ北陸の根本道場

 日蓮聖人の遺命である「京都布教」を胸に、25歳の日像上人が佐渡から海を渡って能登七尾港にたどり着いたのは永仁2年(1294年)のこと。その傍らには、船中での問答の末、法華経に感銘を受けた石動山(せきどうざん)天平寺の座主満蔵法印(まんぞうほういん)の姿があった。
 石動山は、北陸における山岳信仰の拠点霊場で、最盛期の中世には院坊360余り、宗徒約3000人の規模を誇っていたという。そんな一大霊山の座主と心を通わせることができたが、日像上人と満蔵法印は反発する石動山の修行僧から襲撃を受け、羽咋市滝谷町へ逃げ延びる。
 傷が癒えると、先を急ぐ日像上人は、満蔵法印に北陸布教と寺の建立を託して京都へ向かう。満蔵法印は日乗(にちじょう)と名を改め、やがて北陸最初の法華道場、妙成寺を開くのである。
 妙成寺はその後、天正2年(1574年)に加賀藩前田家の祈願所となり、初代利家公から寺領の寄進を受けて伽藍整備が始まる。特に、三代利常公の生母寿福院は熱心な法華経信者で、妙成寺を菩提所に決めると、本堂をはじめ、三十番神堂、祖師堂、庫裏、方丈、五重塔などを次々に寄進。「妙成寺中興の祖」と呼ばれている。整備は五代綱紀公の時代まで約80年にわたって続き、北陸有数と称される七堂伽藍が完成した。
 それらの伽藍は今まで一棟も火災に遭わず、当時の姿のまま現存しているという。周囲には懐かしい里山の風景が残る。建物は10棟が国の重要文化財、4棟は県指定文化財。中でも、境内の外からも見える五重塔は地域のシンボルになっており、茜色の空にシルエットが浮かび上がる夕暮れ時の景色は特に美しい。
 五重塔の国宝指定を目指す活動もある。地域住民らと寺が協力して例年春に開催している「五重塔まつり」もその一つだ。一番の見どころは奴行列。貫首の入山式に行う伝統行事として、町内の檀信徒による保存会が400年以上も守り継いでいる。貫首の代わりに利常公の長女亀鶴姫に扮した女性が駕籠に乗り、「へいよー、おいやっせー」の掛け声とともに華やかな行列が参道を一歩一歩前進する。
 にぎわいを見守るように、壮麗な五重塔が天高く聳え、日像上人像が座している。その姿は、日像上人が京都布教への第一歩を踏み出した若かりし頃ではなく、数々の法難を乗り越えた壮年のもの。経典と筆を持ち上げて、なお力強く法華経を説いている。700年以上を経た今も、日蓮聖人の教えを北陸の地に響き渡らせているのだ。

北陸唯一の木造五重塔と日像上人像がたたずむ妙成寺
妙成寺の境内には江戸時代から変わらぬ姿で伽藍が立ち並ぶ
桃山時代の雄渾華麗な建築技術が随所に施された妙成寺の本堂

日像上人作の祖師像を祀る忍者寺

 加賀前田家のお膝元、金沢の名刹にもお参りしたい。金沢城から1.5キロの犀川畔に約70か寺が集まる寺町寺院群で、前田家の祈願所として知られる妙立寺を訪ねた。
 妙立寺は、三代利常公が建てた複雑な建物から「忍者寺」の異名を持つ。外観は一見、二階建てだが、実は内部は四階七層建て。迷路のような廊下、落とし穴になる賽銭箱、屋外へも繋がる隠し階段、加賀平野を遠望できる望楼など、数え切れないほどの仕掛けが施されている。万一の場合には出城として役割を担ったと考えられている。
 祖師堂には、日像上人作と伝わる祖師像が安置されている。「開運の祖師」として古くから尊崇を集め、江戸時代も身分や宗派を超えて多くの参拝者が訪れていた。そんな中、利常は幾度となくお忍びで参拝。民衆のお参りを遮らないよう隠し部屋を使っていたという。
 祖師堂の中二階にあるその隠し部屋は通常非公開。特別に見学させてもらうと、いかにもお殿様用といった厚みのある大きな座布団が中央にひとつ置いてある小部屋だ。民衆が参拝する外陣とは、障子入りの腰窓(1階からは欄間に見える位置)一枚隔てているだけ。その腰窓のほんの少し開いた部分から須弥壇の祖師像を拝むことができる。利常はここで民衆の御題目を聞きながら静かに合掌した。「仏の前ではみな同じ人間」という思いがあったのかも知れない。
 法華経の中道精神は加賀藩のまちづくりにも息づいているといわれている。武家のみならず町衆にも茶の湯や能が推奨されたのもそのひとつで、加賀ならではの伝統文化を育み開花させた。

加賀藩主がお忍び参拝の際に使ったという妙立寺の隠し部屋
妙立寺の明かり取り階段は、万一の時に槍での攻撃にも使える

日像上人の草庵に始まる教学の寺

 同じ寺町寺院群の中には、日像上人が越前(現在の福井県武生市)に結んだ草庵を起源とする立像寺もある。加賀前田家の庇護を受けて、初祖・日治上人が元和元年(1615年)に創建。高岡、富山にも立像寺を建てた。
 江戸時代初期の建立とされる本堂は、利常の祖母寿命院の再婚先である小幡家が材木を寄進している。その証として欄間には、小幡家の定紋、松皮菱が彫られている。また、二階建ての珍しい鐘楼堂もあり、上層が鼓楼、下層が鐘楼になっている。現在は毎朝5時に鐘がつかれ、寺町の夜明けを告げる音風景として地域に親しまれる存在だ。
 立像寺は、幕末に学問所「充洽園(じゅうごうえん)」が開かれたことでも知られている。当時の住職は、近世日蓮教学の礎を築いた第22代優陀那院(うだないん)日輝上人(にちきしょうにん)で、明治の廃仏毀釈から宗門を救った新井日薩(あらいにっさつ)、吉川日鑑(きっかわにちかん)、三村日修(みむらにっしゅう)ら俊傑を輩出した。学問所名の「充洽」とは、仏の慈悲がどんな人にも平等に降り注ぐことを意味する。
 日曜朝10時から本堂で御題目を唱える「唱題行」も、宗派や経験を問わず誰でも参加できる。約1時間、木柾(もくしょう)と団扇太鼓をたたいて南無妙法蓮華経を唱えながら、自らの内に秘めた仏性を引き出す修行のひとつ。旅の朝の修行体験で静穏な心境に至りたい。

格天井の百花図が見事な立像寺の本堂内陣
史跡「充洽園」の扁額に幕末の活気が思い起こされる立像寺
  • 本山 金栄山 妙成寺(きんえいざん みょうじょうじ)石川県羽咋市滝谷町ヨ-1 TEL.0767・27・1226 8時〜17時(11月〜3月は〜16時30分) 500円
  • 正久山 妙立寺(しょうきゅうざん みょうりゅうじ)石川県金沢市野町1-2-12 TEL.076・241・0888 9時〜16時30分の30分毎に案内(要予約、冬期〜16時) 不定休 1000円
  • 妙布山 立像寺(みょうふざん りゅうぞうじ)石川県金沢市寺町4-1-2 TEL.076・241・2032 10時〜17時 拝観無料 ※見学のみは不可