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笑顔と出会う寺めぐり

第7回

第7回

日蓮聖人が称えた“浄土”
を体感する身延の旅!

 日蓮聖人が“霊山浄土”と称えた地・身延山(山梨県南巨摩郡)。今回は、久遠寺のお勤めや宿坊などを「体験」しながら、身延の魅力を肌で感じてきました。

 

覚林房で初めての宿坊体験!

前回に引き続き、今回の旅も身延山(山梨県南巨摩郡)を訪ねます。
とはいってもメインは明日の久遠寺の朝勤なので、今日のところは、ゆっくり宿で寝るだけ。
ということで訪ねたのは、宿坊・覚林房です。

日蓮宗のお寺を数々訪ねてきた私も、「宿坊」は初めての体験。「お坊さんが迎えてくれるのかな?」とやや緊張しつつ戸を開けると……。
迎えてくれたのは、住職ご一家。
「はーい、遠いところお疲れ様でしたねえ。お風呂も沸いてるけど、先にご飯たべるね?」と、朗らかなお母様が声をかけてくれました。まるで親戚の家に遊びに来たような歓迎ぶりにびっくり!サービスもお部屋も、まるっきり民宿のようです。もっとストイックな修行場を想像していたのですが、緊張する必要はありませんでした(笑)。

身延山の東谷、西谷、中谷という3つの谷には、お寺が約30あります。このうち宿坊として、参拝や観光に来た方を受け入れているお寺が20カ寺。ここ覚林房さんは、特に精進料理が評判の宿坊です。

お膳を一目見るなり、思わず歓声を挙げてしまいました!精進料理といえば、地味な色の印象があったのですが、とっても色鮮やかなメニューが並びます。まずは身延名物の湯葉のお刺身。同じく湯葉の添えられた豆乳トマト鍋。お手製の胡麻豆腐と、身延で採れた“曙大豆”の納豆……。どれも絶品!宿坊でこんなグルメを楽しめるなんて、予想外でした。早速、料理を供してくれた若奥様にその感動を伝えると、「あら、うれしい。簡単ですから作り方を教えましょうか(笑)。料理は、母と私で作っています。精進料理は要するに、ベジタリアン料理。味気なくならないように、彩りや調理法を自分なりに工夫しているんですよ」とのお言葉。

個人でも気軽に宿泊ができる覚林房。お客さんは、この精進料理の虜になったリピーターだけでなく、海外からの旅行者なども多いのだとか。それもそのはず、純和風の部屋以外にも、見どころが多いのです。廊下の窓から楽しめるのは、元禄16年に完成したという夢窓国師作の見事な庭園。池は、実は「心」という字をかたどっているそう。その字が表すとおり、覚林房さんは、住職ご一家で切り盛りしているからこその、温かい雰囲気が魅力でした。

宿坊でこんなに
美味しいお料理が
食べれるなんて
驚き!

覚林房・日朝堂で起きた奇跡

覚林房は、“日朝上人隠棲の地”としても知られています。日朝上人とは、どんな方だったのでしょうか?住職の樋口上人にお話を聞きました。
「日朝上人は、久遠寺の11代法主。当時久遠寺は今の場所ではなく、西谷の草案跡地にありました。しかし、増え続ける参拝者に対して西谷は余りに狭く不便だったため、移転したのです。この移転大事業を成したのが、日朝上人。移転工事は地元の村人に助けてもらったんでしょうね。この辺りの旧家には、日朝上人のお曼荼羅がたくさん残っています。
日朝上人はその他にも、年中行事の制定や学生教育の確立、5百巻に及ぶ著述などたくさんの業績を残し、身延山の「中興の祖」といわれています。
ところが無理がたたり、61歳で両目を失明してしまうのです。しかし、彼はまだやるべきことをやり残していた。そこで日朝上人は恐るべき意志の力でこれを克服し、視力を回復させたのです。このことから、『目の神様』として現在も宗派を超えて親しまれているんですよ。」

覚林房さんで「日朝水」という目薬を見かけましたが、これも日朝上人に由来しているんですね。となると、敷地内にある「日朝堂」には、やっぱり眼病を患った方がいらっしゃるのでしょうか?
「ええ、そういった参拝者は多いですね。眼病を克服された方も実際にいます。印象に残っているのは、小学生の女の子。最初に来たときにお題目を教えてあげたんです。そうしたらそれから1年間、毎週のようにひとりで通ってきて、日朝堂の前で1時間ばかりお題目をあげていくんですよ。とうとうある日、彼女の視力は回復したのです。結果よりも、この子の純粋な信念というか、諦めずに自分で幸運をつかみ取ろうとする力に感服しましたね。日蓮聖人は他力本願ではなく“自力本願”で、自分で行動することを教えていますが、それを彼女に教えてもらったような気がします」

彼女の“絶対に治すんだ”という気持ちが、病に打ち勝ったんですね。“祈る”という行為は、他者に願いを叶えてもらおうとする“他力本願”だと思っていましたが、「治すんだ!」という自身の強い決意を“誓う”という意味もあるのかもしれませんね。

「願掛けをする」ということの
本当の意味を教えてもらった
ような気がします。

お題目と太鼓の音を全身に浴びる朝勤

翌日の早朝、5時すぎ。真っ暗な道をそろそろと歩きながら、久遠寺へ向かいます。久遠寺の朝勤は、毎日午前6時からスタートし(4~9月は午前5時半から)、誰でも参加可能だそうです。

久遠寺に到着すると、ちょうどお坊さんが大鐘をつく瞬間に立ち会えました。この大鐘は徳川家康公の側室お万の方が寄進したもの。もうひとつ久遠寺の鐘で有名なのが、特徴あるつき方です。実際に傍で見ていると、全身を使ったダイナミックなつき方は、迫力満点!こうやって、下の町じゅうに鐘の音を響かせているんですね。

約460畳もあるという広い本堂に入ると、正面には「お題目」が。さらに、これを中心に数体の仏像が並んでいます。久遠寺案内人の望月さんによると、これは「一塔両尊四菩薩四天王」といい、本尊である「お曼荼羅」の世界を仏像で表したものだということです。

約60名ほどの僧侶が一堂に会し、いよいよ朝勤が始まります。大勢が一斉にお題目やお経を唱える様子は、荘厳そのもの。「ドオン、ドオン」ととても大きな太鼓の音が、堂内をビリビリと震わせています。静かにお経を唱える場を想像していましたが、声を張り上げ太鼓を打ち鳴らす様子は、どちらかといえば「パワー全開!」といった華やかな印象。お題目と太鼓の音を全身に浴びているうちに、まるで体が清められていくような感覚に。朝勤が終わる頃には、体も気分もスッキリとしていました。

最後に「御経葩」をいただいて、朝勤終了。葉をかたどった紙にお題目が記されていて、久遠寺参拝の記念にぴったりです。(前回登場の甘養亭・池上さんが集めているのは、これです。)
外に出てみると、真っ暗だった境内が早朝の清々しい光に包まれています。朝の凛とした空気を胸いっぱいに吸いながら、改めて境内を散歩することにしました。

たくさんの音が鳴り響く中で、
気持ちは逆に落ち着いていく
のが、不思議な感覚でした!

日蓮聖人にとって身延山とは…?

朝の久遠寺の空気を楽しんでいると、遠くから太鼓の音と大きな声が聞こえてきました。よく耳を澄ませてみると「南無妙法蓮華経~」とお題目を唱えているようです。やがて近づいてきたのは、若いお坊さんの行列。実はこれ、身延山久遠寺で僧侶になるための修行をしている方々。こうしてお題目を唱えながら身延の山々を歩いたり、水行(水をかぶる行)をしたりと、ときに厳しい修行に耐えながら、約1年の間研鑽を積むのだそうです。

引き続き境内を散策していると、先ほどのお坊さんの張り詰めた雰囲気とは違い、笑顔が優しい久遠寺の僧侶、岩間上人と林上人のお2人に出会いました。
「身延は初めてですか?“開会関”の総門を入れば、ここは仏の世界。気持ちの良い場所でしょう?
日蓮聖人は、自分の墓は身延に建ててほしいと遺言を残したくらいですから、この身延をたいそう気に入っておられたようです。身延に至るまでの日蓮聖人のご生涯を考えてみれば、襲われたり、流罪になったり…と、生活もままならないような大変な日々だった。ここ身延で、やっと落ち着いて、安心した気持ちで過ごせたんじゃないでしょうか」と岩間上人。
続いて林上人が、
「日蓮聖人御真筆のご本尊は約120あるといわれていますが、実にその9割が身延で書かれています。つまり日蓮聖人は身延で初めて、心を落ち着けて、法華経を読んだり、お弟子さんを教育されたり、書を著述されたりといったことができたのです。このため、日蓮聖人の教えは身延で“深化した”ともいわれているんですよ」と説明してくれました。

「日蓮聖人は、初めは身延に長く滞在する気はなかったようですが、次第にこの地の魅力に惹かれ、御遺文では『身延山は霊鷲山(りょうじゅせん)と同様の霊山浄土である』とおっしゃっています。霊鷲山というのは、お釈迦様が法華経を説いたインドの聖地。つまり、身延山は日本における法華経の聖地ということになります。日蓮聖人は身延山という霊山浄土を、『吹く風にも、ゆるぐ木草にも、流れる水の音にまでも、お題目の魂が宿っている』と表現されています。実際に身延は、700年以上前から現在まで、法華経を信仰する人の参拝が絶えない、それこそ“お題目に満ち溢れた”神聖な場所なのです」
なるほど。身延が「霊山」と呼ばれるのには、そういった意味があったんですね。お2人のお話に、すっかり惹きこまれてしまいました。

身延のすべてに
お題目の魂が宿ると聞き、
思わずもう一度深呼吸!

日蓮聖人のお墓を訪ねて西谷へ

久遠寺から少し足をのばして、覚林房の樋口上人が「もともと久遠寺があった」とおっしゃっていた場所・西谷の御廟所を訪ねてみました。

ここには日蓮聖人が住んでいた草案跡が残っています。そこは、杉の古木に囲まれあまり陽の入らない小さなスペースでした。草庵跡脇の石碑には、岩間上人と林上人が教えてくれた「最後には墓を身延山に建てよ。魂を身延山に留める」という意の日蓮聖人の御遺文が刻まれています。
その指示通り、草案跡の傍には日蓮聖人のお墓「祖廟」が建っています。日蓮聖人を慕う全国の信徒さんが、久遠寺だけでなくこちらの御廟所を訪ねてくるのだそうです。
向かって左には、波木井公や、第5回の佐渡の旅でご紹介した阿仏房の墓もありました。日蓮聖人を何より慕っていた阿仏房ですから、傍にお墓を建ててもらって、きっと喜んでいるでしょうね。

草庵跡の手前には、日蓮聖人の住んだ草庵の形を模写・縮小し建造したという「法界堂」が。こんな簡素な空間で暮らしていたんですね。しかも、日朝上人が移設するまでは、「久遠寺」はこの質素なお堂だったんですよね…。こんな小さなお堂を目指して、多くの信徒たちが参拝したというのですから、驚きます。ところが今や久遠寺は立派な佇まいで、宗派を超えてたくさんの観光客を迎えています。その陰には、この移転を実現した中興の祖・日朝上人や、火災で焼失したお堂を再建してきた数々の僧侶たちの力が隠されているんですね…!現在まで法華経の教えが広まっているのには、こういった優れた僧侶たちの存在があるのだと実感しました。

御廟所も、久遠寺と同様に
神秘的で濃い空気が漂う
場所でした!

法華経の聖地を守っているものを知りました!

日蓮聖人が愛した“霊山浄土”身延山。今回、久遠寺のお勤めに参加したり、お坊さんと出会うことで、この地が持つ聖地としての凄みを体感することができました。
前回の感想では、身延は神秘的な雰囲気に満ちた場所だと書きました。今回感じたのは、 その神秘的な“霊山浄土”をつくりあげているのは、偉大な自然の力だけではなく、身延を守り続ける僧侶たちや全国から集まる信徒の信仰心だということ。ここでたくさんの人々がお題目を唱える様子は、日蓮聖人が生きていた頃と変わらないのかもしれません。身延山には、長い時をかけて人々の祈りが染み渡っているからこそ、私たちはその神聖な空気を体感できるんですね。

旅のしおり

今回うかがったお寺&史跡

覚林房(山梨県南巨摩郡身延町身延3510 TEL 0556-62-0014  )

http://www.fujikawa.or.jp/~higuchi/kakurinbo/
一泊2食付8,000円~/食事のみ3,000円~※どちらも要予約

久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延3567 TEL 0556-62-1011(代))

http://www.kuonji.jp/index.htm
朝勤は、誰でも参加可能。
4月~9月/午前5時30分開始 10月~3月/午前6時開始

日蓮聖人御墓・御草庵跡(山梨県身延町身延3628 TEL 0556-62-0104 )