日蓮宗メールマガジン6月号
【今月の法話】
『教化衆生』
教えを全てに示して、導くことを教化と言います。
「人のことをいちいち批判していたら、人を愛することを忘れてしまう」マザーテレサの言葉です。
この言葉に共感される方は少なくないでしょう。人をいちいち批判することに時間を割いていては、どんな人をも愛するというキリスト教の「無償の愛」を忘れてしまうのでしょう。
先日SNSを見ていると、この言葉と一緒に表示された言葉がありました。次の言葉です。
「批判に弱い人は他人の批判が大好きなんだ。批判に強い人は他人の批判をしない人だ。人は自分が一番やってほしくないことを他人にしてしまうんだよね」千田琢哉
マザーテレサは「批判より愛を先とせよ」と言い、千田琢哉は「批判に弱い人が批判を行い、そういう人こそが批判を嫌う」と言ったのです。
「批判」という言葉繋がりで、同一の記事として表示されたのかも知れませんが、意味合いは全然違うわけです。
果たして批判は本当に悪しき行為なのでしょうか?
批判とは、物事の真偽や善悪を根拠として、評価判定していくことです。
同一視されがちな非難と中傷とは性格を異にするものです。批判は生きて行く私たちにとって、流されずに生きて行くために必要なことではないでしょうか?
世間が誤った方向へと進んだりすることもあり得ます。そこで憎まれたくないから、誤りと知っていても黙って過ごすのか。果たして言うべきなのか。悩んだということは皆さんもご経験があるかも知れません。
批判は誠に大事な手段ではないでしょうか?考えの過ちや方針の不適合など、突飛に指摘しては退けられるでしょう。
立場の弱き者にとっては、長い時をかけて、その考えを示して布石を打って、人々の味方を得て、世の中を変えるほかありません。
それをされたのが日蓮大聖人であります。当時の政治と宗教のあり方によって、人々は苦しんでいたのです。天変地異の原因を捉えた日蓮大聖人は執権の方針に対して、仏法の観点から真偽善悪を申し上げたのです。
その為には鎌倉にて布教なさって、世の人々に訴えかけて真実を理解させて行ったのです。
私たちの信念も今試されているように、世間は誤った方向へと向かうのかもしれません。小さな私たちが信念を持った生き方をする上で、真偽善悪を根拠に判断していく、批判という行為を今一度見直さなければならないと思うのです。
【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。
2日 月例金曜講話
15日 開闢会(15〜17日、於・身延山)
28日 いのりの日