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今を生きる法華経の智慧:仏教のエッセンスがつまった人生の良薬―法華経

第3章 どんなときも"いのちに合掌"を忘れずに

「常不軽菩薩品第二十」というお経では、人々を礼拝し続けた一人の菩薩「常不軽菩薩」のことが書かれています。この方は、この世に存在する皆が仏の子であり、一人ひとりのなかに仏がいるのだ、というお釈迦さまの教えを信じました。そして、どんな職業の人にでも、どのような地位や身分の人にでも、全て分け隔てなく、「あなたは仏になる人です」と合掌をしたのです。ときには、全てが「仏」になるという真理を理解しない人が悪口を言い、棒で打ち、石を投げつけることもありました。それでも、決して怒ることなく、さらに強く「あなたは仏になる人です」と合掌礼拝を続けられたといいます。

このようにどんなときにも、全ての人に、敬いの気持ちを表し続けたことから、「悩み苦しむ人々を利他の心、慈悲の心で救う方」という意味を込め、「菩薩」と呼ばれるようになったのです。

人はもちろん、動物にも草木にも大地にも"いのち"があります。この"いのち"を、遥か昔から脈々と「仏のいのちを継いできたもの」と受け止め、「ありがたい」と敬いと感謝の思いを込めて手を合わせることが、「合掌する」ということです。

食事のときに「いただきます」と、たくさんのいのちに感謝をして手を合わせますよね。これも、「いのち」に感謝し敬う心を行動に表した姿です。日本人が昔から使っている「もったいない」、「ありがたい」、「おかげさま」という言葉も、同じような心が込められたものだといえます。お寺で、家庭で、様々な場で合掌し礼拝するということには、いずれも感謝と尊敬の意味が込められています。

全ての「いのち」を「仏のいのち」と受け取り、「ありがたい」と感謝の思いを込めて合掌する。ぜひこの心を忘れずに生きていきたいものです。