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今月の聖語

今月の聖語

たといさとりあれども
信心なき者は
誹謗闡提の者也

日蓮聖人御遺文「法華題目鈔」/
文永三年(一二六六年 聖寿四十五歳)

「信心肝要」
仏法の大海(だいかい)は信を能入とするという。能入とは、仏の教えの門に入り、仏道成就へと導く最良・最先の手がかりのことで、それが「信」。信ずることによってのみ仏道をきわめ入ることができると、仏説はあかす。信心肝要、信心為先である。仏道に入るとは、信心の志とその実修によって成仏の大果をいただくことである。仏のすくいに預かる大安心の獲得である。そのための根本条件が信の一字である。 
悟りの有無、この場合のさとりは仏教の理解度をさすが、世の常の知恵・才覚は、仏道に入るための必要条件ではない。いたずらな才能は、ややもすれば逆作用を生むから利根は不可。むしろ鈍根者は純信ゆえに一途で正しい見識をすなお・まっすぐにもつのであって、頼もしい。