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今月の聖語

今月の聖語

一滴の水漸漸に流れて大海となり
一塵積りて須彌山となる

日蓮聖人御遺文「唱法華題目鈔」/
文応元年(一二六〇年 聖寿三十九歳)

「小と大の相関」
大海の一滴となればごくごく微量。あるかなきかすら知れぬほどである。存在感もわかぬから、まして存在意義はないかのようである。
けれども、そのような存在も意義も乏しい巨海の一滴であっても、その一しずくのより集まりが凝(こ)ってついに成したのが大海である。つまるところ、微小の一滴なくては大海たり得ないのである。
かくして極微が極大をなりたたせているのであるから、微量な一滴の存在の意義と価値は途方もなく巨大であるといわねばなるまい。「衆流あつまりて大海となる」のだから、「一塵積りて須彌山となる」のは当然である。
こうして我等、非力を嘆き無力をかこつこと全くなし。巨木の幹を穿つ小鳥がいる。雨垂れもいつしか石に穴をあける。要すれば精勤(せいごん)あるのみ。なせば成り、なさねば成らぬのである。云く。「為す者は常に成り、行う者は常に至る」。