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今月の聖語

今月の聖語

一切衆生を悪道(あくどう)に導びくこと、人師(にんし)の苅(あやまり)によれり。

『報恩抄』/
建治二年(一二七六年聖寿五五歳)

【小松原法難】

師とは、人を導く能力を持った人格者のことです。弁舌が爽やかであったり、言葉が優れていたり、声の響きが良かったり、容姿の感じが好いのも、この能力の一つです。しかし導く能力と、導く先は別ものです。言葉の花を咲かせるだけで実りのないこともありますし、誤った方向に導く可能性もあるからです。

難しいのは、ここに悪意がなく、むしろ善意による場合が多いことです。たとえば原子力です。地球にやさしく、安全でクリーンなエネルギーとされ、多くの人々が信じ、その恵みを享受してきました。しかし現在は、災害の多い日本には適さないと考える人が増えてきました。

今、正しき道への指導者やリーダーシップが求められています。しかしそれは、私たち一人ひとりが問われていることになります。私たちは、他者に導かれながらも、他者を導く人師でもあるのです。