ホーム > 寺院めぐり > 笑顔と出会う寺めぐり > 日蓮聖人の遺した偉業を知る佐渡への旅 !

笑顔と出会う寺めぐり

  • 記者プロフィール
  • バックナンバー
第4回

第4回

日蓮聖人の遺した偉業を知る
佐渡への旅 !

 鎌倉から佐渡へと流罪の悲運をたどった日蓮聖人。しかし佐渡に渡った後も、生き迷う人々を救うべく、おそるべきエネルギーをもって次々と大業を成したといいます。今回は佐渡を旅しながら、日蓮聖人の遺した偉業の数々を紐解いていきます。

 

佐渡流罪後も続く苦難の道?!

新潟港から佐渡島へは、高速船のジェットフォイルで約1時間。あっという間に到着しました。
佐渡・両津港に降り立つと、山の中腹にある金色の立像が目に入ります。さっそく近くまで車を走らせること10分。のどかな田園風景に、突如巨大な日蓮像が!!その表情の、何と力強いこと。かなりのインパクトがありました。

次に向かうのは日蓮聖人が初めて佐渡の地を踏んだといわれる着岸の地。両津港から清々しい海岸線沿いのドライブを約1時間程楽しんで、松ヶ崎の本行寺へ向かいます。
龍ノ口の法難後に流罪となった日蓮聖人は、約740年前の文永8年、現在の暦でいう12月初旬に、佐渡に到着しました。真冬の佐渡ですから、きっと海も荒れていたはず。本行寺の境内にあった松の大木に龍神が火を灯し、船を島へと安全に導いたという伝説が残っているくらいですから、相当に険しい航海だったんでしょうね…。この伝説の「龍灯の松」は現在、大きな切り株が本堂に残されています。

本行寺から5分ほど歩くと、「おけやき」と呼ばれる欅の大木が見えてきました。本行寺の武藤上人によると、松ヶ崎に上陸した日蓮聖人は、ここで欅の木の穴に入り、夜を明かしたそうです。
「その際、ここに住んでいた老婆に一杯の粥を差し出され、御礼に鍋を与えたともいわれています。ただ、今あるこの欅は代替わりしていて、740年前にあったものではないようです。ほら、肝心の穴がないでしょう?初代にはあったはずですよ。しかしこの欅もかなり老木で傷んでいますから、地域の人で修復しながら大事に見守っています」
この大木で2代目だなんて、日蓮聖人が生きた時代から現代までにどれほどの時が流れたのか改めて実感しますね。

日蓮聖人はその後、背後にそびえる山々を越えて、地頭の屋敷を訪ねたといいます。武藤上人が聖人が越えたといわれる峠道を案内してくれました(写真は峠跡の碑)。実際に山道を歩いてみると、目印は何もなく、細道には木々が重なりあってわずかな陽が入るだけ。当時、日蓮聖人は50歳。雪も降っていたかもしれません。真冬の“登山”はあまりにも過酷だったのではないでしょうか。

佐渡への船旅だけでなく
配流先の住処への道のりですら
予想外に険しく、“流罪”の
厳しさが伝わってきます…。

極限状態の根本寺で遺したものとは…?

峠越えの目的地・地頭の屋敷跡にあるのが、根本寺です。日蓮聖人は、ここ「塚原」と呼ばれる地で佐渡最初の半年を過ごし、「開目抄」を記しました。当時の草庵跡近くには三昧堂が建っており、今でも多くの信徒さんがここを訪ねてくるようです。

塚原での日蓮聖人の生活について、竹中上人にお話をうかがいました。
「佐渡は、日蓮聖人の人生の仕上げの地といえます。佐渡がなかったら、大聖人の生涯を語ることはできない。それくらい大切な時期を過ごされました。

ここ塚原の地は、元々死体置き場だったのです。そんな環境の中、寒さもしのげず、食べ物も与えられないのですから、生きては帰れないかもしれない。塚原での生活は、そういった危うい環境でした。しかし日蓮聖人は、何があっても『法華経を正しく広める』という使命を果たさなければならない、と考えたのでしょうね。そのような中、ここ塚原で『開目抄』、そして一谷(いちのさわ)で『観心本尊抄』という教義の要となる書を記されたのです。

『開目抄』は、いわば法華経の正しい心得方を説いたもの。『観心本尊抄』には、何をご本尊として崇め法華経指導に励めばよいのか、ということが記されています。
これらを総合し分かりやすく言えば、日蓮聖人は“人間らしく生きてくれ”とおっしゃっているのです。「人間らしく」というのは、周りに生かされていると気づき、感謝し、慈悲の精神を持つこと。そういった人の生き方を日連聖人は伝えたかったのではと思うのです。

佐渡で日蓮聖人ゆかりの地を巡っているのですか?本来なら、やはり日蓮聖人と同じく冬を体験するのがいちばん良いですよ。冬の佐渡の寒さはそりゃあ厳しいもんです(笑) 。しかし日蓮聖人が至った境地に少しでも近づくためには、その環境を身をもって感じることも大事。そうすることで、日蓮聖人の偉大さがまたよく分かると思いますよ」

三昧堂にある絵には、雪の積もる草庵の様子が描かれています。秋の取材時(10月)でもひやりとする境内。本格的な冬を迎えたときの厳しさは想像に難くありません。

飢えと寒さに耐える
塚原での暮らしは、
いわば“極限状態”。
まるで苦行のようです……。

人里離れた一谷で生まれた新たなドラマ

次に訪れたのは、塚原の次の住処となった一谷の草庵跡地にある妙照寺。ここで2年を過ごした日蓮聖人は、「観心本尊抄」を記し、初めて本尊を顕したといわれています。
本堂の茅葺き屋根の葺き替え作業で後片付けをしていた御住職・加門上人にお話を伺いました。
「本尊というと、一般に木仏や金仏などいろいろありますね。日蓮宗の本尊は、大曼荼羅。日蓮聖人は、ここで初めて、戸一枚ほどの絹地に大曼荼羅を記されたのです。もっとも、大聖人は『自作ではなく、お釈迦様が乗り移って顕された』とおっしゃっていますがね。それ以前は、お釈迦さまも顕していなかった本尊を、日蓮聖人が初めて、この佐渡で顕したのですから、ここはとても大切な霊場なんですよ」と語ってくれました。

「ここには、佐渡に残る日蓮聖人の霊跡で唯一、草庵のあったことがハッキリとしている場所に祖師堂が建っています
今も静かな場所ですが、昔は寺の前の道もありませんでしたから、本当に“人里離れた地”でした。そもそも日蓮聖人がここへ移された理由は、“塚原問答※”が原因。この事件を機に、法華経に帰依する者が一気に増えたため、布教の広まりを危惧した役人は、誰も訪ねてこないような辺ぴな場所へと日蓮聖人を移動させたということです。一説では帰依者が増えたために待遇が改善され、日蓮聖人は一谷で温かく迎えられた、といわれていますが、実際にはまだまだ苦難は続いていたと思います。

とはいっても、この屋敷の持ち主・近藤清久は念仏の信者だったにも関わらず、日蓮聖人の人柄に感服し、心を込めて給仕をしたそうです。ですから、ここでの暮らしは塚原に比べると格段に良かったことは間違いありません。
清久は最後までお題目を唱えなかったといわれています。しかし、私はこのように思うんです。お題目は、大きく声に出すことで自身の信心を伝えるもの。ところが当時はまだ日蓮聖人への反発が大きく、“あいつを殺せ”という声も聞かれるような時期でした。ですから、清久は“帰依しなかった”のではなく“大きな声でお題目を唱えることができなかった”だけなのではないか、とね」

なるほど…。なんだか、日蓮聖人に触れた人々の人間らしい葛藤が伝わってくるようなエピソードですね。

※日蓮聖人の塚原滞在中に、村人や諸宗の僧徒約100人が法論で攻めようと詰め掛けたが、日蓮聖人は一問一問理路整然と論破したという事件

佐渡に入ってからの日蓮聖人の
エピソードは、どんどん凄みが
増していくよう……。
布教への鬼気迫るエネルギーを
感じます。

佐渡の地に別れを告げた、真浦の海

日蓮聖人の3年に及ぶ佐渡流罪も、とうとう終わりを告げる日が。文永11年の春のある日、鎌倉より放免状が届いたのです。その数日後に、日蓮聖人は佐渡の地を後にし、鎌倉へと向かったそうです。
その際、最後に足跡を留めた場所が、現在の赤泊のあたり。穏やかな海岸線沿いに、ポツポツと畑や民家が続く、のんびりした集落です。

離岸の地「真浦霊跡」を訪ねてみると、波題目の碑が残っていました。真浦に伝わる“波題目”とは、新月の晩に信心を凝らして海を見ると、月明かりに照らされて波間に題目の文字が浮かぶという伝説。想像するだけでも、とても美しい情景ですよね。でも残された村人の気持ちを想像すると、自分の信仰を変えるほどの影響力を持った大切な人が、佐渡を離れていく――。晴れて放免となった喜びと、別れの寂しさが入り混じった気持ちだったのでは?この美しい伝説には、残された信者たちが、去った日蓮聖人を偲びながら、一心にお題目を唱える姿が映し出されているようです。

続いて、旅立つ日蓮聖人を新潟県柏崎市のあたりまで船で送り届けたという旧家「船元家」が建てたお堂「日蓮堂」へ。
少し山に入った所にひっそり佇む小さなお堂は、草に覆われているうえ、とても古びています。やや荒れた印象がありますが、お堂の中には大事そうに手入れされたお曼荼羅が掲げられていました。本行寺の武藤上人によれば、ここは地元の有志の方々が手入れをしてくれているのだそう。年に二度は、その地元の方々が日蓮堂に集まり、お題目を唱えるということですが、なんと、集まる方々の大多数は日蓮宗以外の宗派とのこと。
過去に村に立ち寄り様々な逸話を残したひとりの人間・日蓮聖人を偲ぶ思いと、宗派は関係がないのかもしれませんね。考えてみれば、とても人間らしく、自然な話です。

真浦に残るエピソードの数々には、
血の通った一人の人間・日蓮聖人が
ここに生きた証が感じられるようです。

旅のラストは佐渡の魅力を満喫!

日蓮聖人の足跡をたどる旅は、ここでひと段落。せっかくの佐渡旅行なので、少し観光もしてみることに。真浦から車を飛ばして、宿根木に立ち寄ってみました。
船乗りたちの古い民家がそのまま残された宿根木集落は、観光スポットとして人気。公開民家の中を見学してみると、意外にも豪華な造りでしっかり楽しめます。街並みを満喫していると、「なんだか懐かしい感じがする~」、「今も人が住んでるなんてびっくり!」なんて歓声が。記念写真を撮っていた大学生たちに出会いました!

「私は佐渡出身なので、新潟から来た友達を案内していたところなんです。この宿根木は、街並み見学だけじゃなく、公開民家や昔の小学校にも入れるし、レトロな雰囲気をたっぷり味わえる私のお気に入りスポットです」
よく考えてみると実は彼女たちは、今回の佐渡旅行で初めて出会った若い女の子。今日はずっと静かな場所を巡っていたので、彼女たちの賑やかさが、妙に新鮮です。
新潟港からたった1時間で着く島なのに、1日過ごすだけで、俗世間から離れたような感覚になるから不思議ですね。

旅のシメは、やっぱり温泉!ということで本日のスタート地点・両津港の近くに位置する温泉へ。こちらは、加茂湖が一望できる露天風呂が自慢。牡蠣を養殖するいかだが浮かぶ湖を眺めながら、ゆっくり湯に浸かることができます。これはもう、最高です!
長湯で少しのぼせてしまったため、お隣の宿泊者向け休憩所でくつろぐことに。戸を開け放てば、湖と空を大パノラマで楽しめます。聞こえるのは、鳥の声だけ。湖面に映る夕陽をのんびり見つめながら、旅の余韻にしばし浸りました。

湖や海、空、虫や鳥の声、
古くから変わらない木造の家。
佐渡は、肩の力が自然と抜けて
くつろげる場所です。

日蓮聖人の加速していく“凄み”を感じる旅でした!

流刑地・佐渡の旅だから、もっと陰鬱とした生活を追体験するかと思っていたのに、完全に予想を裏切られました(笑)。何かの志があったとしても、流罪になれば意気消沈するのが普通ですよね。ところが日蓮聖人は、むしろますます勢いと凄みを増しているよう。佐渡の足跡をたどるほどに、混乱の世に生きる人々に少しでも分かりやすくお釈迦さまの言葉を伝えようと、信念を曲げずに行動する姿がありありと伝わってきます。
また佐渡では、影響を受けた周囲の人々のエピソードもとても面白かったです。日蓮聖人の志を、佐渡に生きる人々がしっかりと受け止めたような印象を持ちました。次回も引き続き佐渡を巡って、そういった人々のエピソードを詳しくたどってみたいと思います!

旅のしおり

今回うかがったお寺とお店

本行寺(新潟県佐渡市松ヶ崎1201)

おけやき(本行寺より200mほど離れた池田家屋敷内)

根本寺(新潟県佐渡市新穂大野1837)

8時~16時 拝観料300円

妙照寺(新潟県佐渡市市野沢454)

日蓮聖人佐渡銅像 (新潟県佐渡市加茂歌代字百成)

峠跡(小倉峠)(新潟県佐渡郡畑野町大字小倉字小杉原1770)

※道が整備されていないため、ガイド無しで入ることは大変危険です。

真浦霊蹟・日連堂  (新潟県佐渡郡赤泊村真浦98)

宿根木集落(新潟県佐渡市宿根木 TEL: 0259-86-3200 )

宿根木民家公開/清九郎の家、金子家:400円

温泉:佐渡グリーンホテルきらく (佐渡市しいざき温泉 TEL:0259-27-6101)

立ち寄り湯500円/宿泊10,650円~