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お坊さんのお話

辻本学真常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28

辻本学真常任布教師プロフィール:神奈川県横浜市南区

【座右の銘】
小欲知足:慈悲とは相手を殺すことではなく生かすことである。人生は二度同じことを繰り返すと思わないで生きた方がよい。

【得意分野】
信徒教化に対しては、長年積み重ねたものがある。演台での話、登高座での話、どちらもできる。平和の話、環境問題。

【コメント】
国内開教(都市開教)35年間、自力で宗教法人蓮馨寺を設立。現代も開教中。若い僧侶で開教を目指す方々に対し協力したい。
祖山総登詣に対し、身延山で必ず法話を拝聴して頂く、指導。もっと修行をさせて頂いている自覚を持たせる。現状ではあまりにも先を急ぎ内容が薄い。是非、多勢の常任布教師がいますので派遣したらよいと思います。

【お題目】

私は、神奈川県は、横浜から参りました辻本学真と申します。

皆様に、一つお尋ねを、申し上げますが、人類が進化していく、その中で、私どもの祖先も実は四本、手と足を使って歩いていた時期があったのをご存知でしょうか。

けれども、ある時、突如として立ち上がっていく。ではなぜ立ち上がったかということを今、人類の祖先を研究している学者が研究した結果、だんだんわかってまいりました。

四足で歩くということになりますと、食べるものを口でくわえるくらいしか確保できなかった。けれども、立ち上がって手が使えるということになりますと、手で食べるものを確保できた。この人間だけがそういうふうになってきたという部分を進化と申しています。

ところが私共この手が自由に使えるということを考えた時に、良いこともしますけれども、悪いこともする。例えば、戦争に行って銃の引き金を引くのもこの手でございます。良い方では合掌をして拝む、ということを私たちはできる。誠に尊い行為であります。

大聖人様をもととして、お題目を唱えるということから、合掌ということが言われておりますが、これは尊い姿です。手を合わせていれば、悪いことはない。手を離して拳を握れば人を打つ、あるいは何か考える行為に繫がっていくわけでございます。

まず、私共はこの合掌ということを常にやって参りましょう。それから、命というものを考えた時に、動物、生きている牛や馬や、やぎや色々なその動物の種がどのくらいあるか。

ある学者がそれをずーっと数えていったら、なんと動物だけで170万種。それは動物だけ。もうひとつは、この草や木ですね。草や木はどのくらいあるかと申しますと180万種。これをトータルしますと350万種になります。

まぁ、途方もない命ですね。そのいのちがこの地球上にあって、私たちは人間に生まれているということを考えた時にそれは大変不思議なことであります。それを大聖人様も考えて下さいとおっしゃっています。

そしてこの命の根源は仏様から伝わってきている。妙法蓮華経如来寿量品というのは、その仏様、如来の寿命がどのくらい長いかということを実は説き示している教えなんですよ。

それは時間的な長さだけではなくて、空間的な距離もそこに含まれて、永遠ということを、法華経は説いているわけであります。

私たちの人間の営みの中で、一つ申し上げたいことがあります。「織物」というものをよく考えてみますると、縦糸と横糸があるんです。

その縦糸というのはずーっと親、親、親を辿っていった時間の流れ、縦の流れ、横糸というのは自分の一生だろうと思います。

その自分の一生の横糸を強くすることは、これは、まぁ努力でございますけれども、ただその横糸が縦の糸に支えられているということを私たちはあまり認識していないのです。

その縦糸が弱ければ布をバっと引っ張りますとバラバラになります。これはある意味では、家族崩壊にも重なっていくわけですね。どんなに自分が強いと思っていても、縦に支えられているというその認識がなくなってしまうと、家の中はバラバラになります。そういう縦糸と横糸が丈夫であることが大事なんだと申し上げたいわけであります。

この経糸こそは先祖の流れを意味します。

実は、この春、長崎県の方へお彼岸のお説教に参りまして、長崎は特に大村というところ、あれは大村藩の領内でございますけれども、その第19代大村義前(よしあき)公以来、このお題目の信仰が非常に広がっていったところであります。

そういう土地柄である大村のこの8ヶ寺というお寺が大勢のお檀家を抱えておりますが、その中の2ヶ寺、彼杵郡の東彼杵(ひがしそのぎ)の妙法寺、それから川棚(かわたな)の常在寺という2ヶ寺で7日間、お話をして参りましたが…。

その東彼杵の妙法寺というお寺で朝、住職と打ち合わせをいたしておりましたら、お説教師さん、今日はお檀家の方が赤ちゃんをお連れになりますのでお経頂戴をお願い申し上げますとおっしゃった。

私も初めてでございますから、ご住職が「まぁ高座に上がっていただければわかりますので、いつものようにお経頂戴をして下さい。」とおっしゃいました。

そうして時間になりまして、ご法要のあと、高座に上がってお話をさせていただいたわけですが、そのお題目でずっとこう高座に上がって、高座で一応全部用意を致しまして、まだお題目が続いている中で、ご住職は、赤ちゃんを抱っこしたお母さんをお宮参りのような形をとって、高座の前にお連れになられました。

「御経頂戴をお願い申し上げます」ということで、そのお題目をずっと唱えている中を
「御経頂戴、今身より仏心に至るまでよく持ち奉る南妙法蓮華経、本日参詣の善童女、そして発育増進、智慧明良」
というふうにこの御経巻をそーっと頭に乗せて拝んでおりますると、なんとお母さんがその赤ちゃんの外から、一生懸命こう手を合わせて、若いお母さんですけれども、お題目を唱え、その周りの御信徒もその姿をご覧になっている。その皆さんが一生懸命お題目をあげて手を合わせていらっしゃる姿に私も感動したんですね。

あー、これは一人がお題目を挙げているんではなくて、その姿にまた誘われながら、周りの全参詣の皆さん方が一心に手を合わせられている。その個と全体、全体と個というものがひとつになってお題目の世界ができ上がっている、これこそが大聖人のおっしゃられた浄土のお姿ではないか、とつくづく感じ、私も高座の上で、もう涙が出て参りました。

この命、赤ちゃんがそのお題目の中で包まれてそしてお聞きになって、お母さんと赤ちゃんとが一つになっています。私は、きっとこの子は将来大きくなって、立派な人になれるな、こんなに小さい時からお題目の声をお聞きになって育っていくのだからと思って、お話の方へ入らせていただきました。そのお母さんもさがられましてから、横の方で私の話を聞いて下さいました。

これこそが命に向かっての合掌。この赤ちゃんの命がスクスク育っていくことを、親も思うけれども、この会座、皆さんが参加されている会座の妙法寺の檀信徒の方々も、それを祈っていらっしゃるんだな、そういう世界を感じた次第でございますが…。

大聖人も
「魚は水に住む、水を宝とす。木は地の上において候あいだ、地を宝とす。人は食によって生あり、食を財とす。命と申すものは、一切の宝の中の第一の宝なり」
とご指南くださっています。

まさにこの命というものを私たちはいただいている。そのことをこの親子に感じていただいたら、私はその子どもがまた大きくなってからも、同じ世界の中で生きていかれるのではないか、そう思いながらこの彼岸を過ごさせていただいた次第でございます。

それでは最後にお題目を一声させていただきます。

【お題目】

どうも有難うございました。