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お坊さんのお話

植田観樹常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28

植田観樹常任布教師プロフィール:大阪府豊能郡真如寺住職

【座右の銘】
離諸憂悩 慈心説法

【コメント】
未信徒にも興味をもち、理解してもらえるよう、話の素材と構成を教えています。極力、専門用語を使わず、日常感覚で理解してもらえるように、説き、語るよう努力しています。

【お題目】

この手を合わせるという合掌でございますが、合掌ですぐに私たちが思い出すのは、「いただきます」という時でございます。
一般のご家庭においては、まず食卓を囲んでそして食事をいただく時に、「いただきます」というのが昔からの風習でございました。最近のテレビでもNHKのドラマなんかでよく「いただきます」とやっております。

この「いただきます」なんですけれども、聞いたお話ですが、ある小学校に入ってきた1年生の担任の先生です。
みんなで合掌して「いただきます」と、食事を「いただきましょう」と言ったんですけれども、どういうわけか一人だけそれをしないで、「なんでやらないの」と言ったら泣き出してしまった子がいたそうでございます。
その時はそれで終わって、どうしてかなと思っていたそうですけれども、その後、その子のお母さんが学校へやってきたそうです。
校長先生と担任の先生を前にしまして、うちの子になぜ合掌をさせて「いただきます」ということを強制するのかということで、大変厳しい抗議の言葉を述べたそうであります。
「いただきます」、これをなぜあなたに、先生に言わなくちゃいけないの、なぜ学校でしなくちゃいけないんですか。うちの子は給食代を私がちゃんと払っているんです。親が払った給食代で食べる給食なのに、なぜ合掌して感謝して、先生にお礼を言わなくちゃいけないんですか。大変厳しい剣幕でそんなことを言ったそうでございます。
1年生の先生は、その剣幕に負けてたじたじとして、「どうも申し訳ありませんでした、それぞれのご家庭の有り様っていうのを考えておりませんでした。」と謝ったそうです。

結局それで済んでしまったんですけれども、それを話してくれた私の知人がそんなことでいいんでしょうか、いただきますというのはそんなことなんでしょうか、合掌というのはそんなことなんでしょうかと大変嘆いておいでになりました。

私も同感でございます。「いただきます」というのは先生に対して言うことではないと私は思います。まずその食事を作ってくださった方への思い、これももちろんでございます。
しかしそれだけではなくて、その食事をいただく時には、その食材の命を私たちは頂戴しているわけでございます。お米、小麦、そしてまた肉、野菜これは全て生命でございましょう。その生命をいただいて、私たちは自分の生命を長らえることが出来るのでございます。

日蓮宗では食法というのがございまして、
「天の三光に身を温め、地の五穀に精神を養う」と、
ここからはじまる感謝と、そしていただいた生命を自分の身をもっていかに生かしていくかということを考えていきたい、これがこの食法の根本精神だと思うんですけれども。実はそれこそが私はお題目の一番底に流れている仏様のおっしゃりたかったことではないかと思うんです。

共に生き、共に生かされている自分というものをまず知ること、そこから私たちの生き方というものがおのずと導き出され、そしておのずと自身の生き方というものがふつふつと湧いてくるはずでございます。
そういったものを無くしてしまった、いただきますという気持ちを無くしてしまったその挙句が今の社会ではないかと思うんです。

合掌というものも小林一茶の句ではございませんけれども、
「やれ打つな蝿が手をする足をする」
という言葉がございますけれども、夢中になった時に一生懸命になった時にそして全てを他に委ねて生きようとする時におのずと出てくるのが合掌の姿なのです。

(合掌の姿)

この形では手を上げることはもちろん出来ません。また言い返す言葉もございません。ただただ他の力に身を委ね、そして精一杯に生きていく、それが合掌の姿であり、そこにまた「いただきます」という感謝の気持ちが入った時に私たちは誠に今、生かされている自分というのを感じるんじゃないかと思います。
手を合わせて合掌し、そして高らかに南無妙法蓮華経とお題目を唱えます時に私たちはその私たちを生かして下さっている全て、そして世界、そしてそこにいる自分が繫がれているんだということをしっかりと身を持って心の底から感じることが出来るんじゃないかと思っております。

合掌し、お題目を唱え、その心がこの社会におのずと滲み出していくような私たち日蓮宗徒でありたいと願っております。
どうか皆様方お一人お一人手を合わせ、お題目を唱える中で、共に世界中が手を携え合っているという姿、そしてまたその中に生かされている自分ということを感じていただきたいと念願する次第でございます。
その気持ちが世界中に広がるような気持ちを込めて、お題目を三唱させていただきまして私のお話を閉じさせていただきたいと思います。

【お題目】