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お坊さんのお話

中村潤一常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28

中村潤一師は、令和2年8月4日、世寿78歳にて遷化されました。
法号「法秀院日学上人」。謹んで増円妙道をお祈り申し上げます。

中村潤一常任布教師プロフィール:福岡県北九州市眞浄寺院首

【座右の銘】
言辞柔軟 悦可衆心

【コメント】
よく飲み、よく書き、よくしゃべる。現代に生きる仏教を伝えて行きたい!

それではお題目一唱ご唱和のほどお願い申し上げます。

【お題目】

合掌ほど素晴らしい祈りの姿はございません。合掌とは二つの手を胸の前に合わせて祈ることです。
あるお仏壇屋のコマーシャルで可愛い女の子が、私とは違いますよ…、
「お手てとお手てを合わせて幸せなあむ」
と言っていますけども、これは手のシワとシワを合わせてという行為と、誰もが求める幸福の「幸せ」という言葉の語呂合わせなんですね。
それとは反対に手を握りしめて合わせると節と節とが合いますから、これ「不幸せ」というような話もあります。
誰だって不幸せにはなりたくないですよね。

ところで皆さんにお尋ねしますけれども、右の手と左の手と同じ形をしているでしょうか。よーくご覧になって下さい。確かに良く似ています。でも、もしおんなじ形ならば合わせることができますか。右と左の手は対照的に反対の形をしているんです。まぁ、鏡の世界と同じだと考えていただいて結構です。
その反対のものが向き合い合わさっているのが実は合掌の心、祈りの世界なんです。

インドの人たちは食事をする時は右の手を使い、お尻を拭く時は左の手を使うと聞いたことがあります。もっとも左利きの人なら逆かもしれませんけども、インドの人たちは清潔なものを扱う時と、そうでないものを扱う時にはこの二つの手を使い分けているそうです。なるほどなぁと感心しました。
ところが、この人たちは、人に出会うごとに使い分けているはずの二つの手を合わせて「ナマステ」と挨拶し合うんです。
「どんな意味なんですか」と訪ねると、
「あなたを尊敬します」ということですよと答えてくれました。

そして「ナマス」とは私たちがお唱えする「南無妙法蓮華経」の「南無」と同じ意味なんだとも教えてくれました。私はその時、妙法蓮華経の第二十番目の章、常不軽菩薩品にある不軽菩薩の祈りにも通じている心だなと考えさせられました。
不軽菩薩という方は出会う人ごとに私はあなたを拝みます。決して軽蔑しません。なぜならあなたはいつの日か仏様になられる方ですから、と言ってこの二つの手を合わせて、これが自分の一番大切な修行なんだと信じ抜かれたお方なんです。
これは「ただ礼拝を行ず」ということから「但行礼拝」と呼ばれていますけれども、今私たち、日蓮宗が推し進めている宗門運動の道しるべともなる大事な心がけでございます。

お互いがお互いを尊敬し合い、助け合い、仏の子として自覚を持ち、この世界を仏様の願いに叶う清らかな世界にしていく。実はこれが日蓮聖人の正しい教えを立てて、国を安んじるという「立正安国」の精神なんです。

ちょっと話が飛躍致しました。話を元に戻します。
二つの手を合わせるというのは真反対と思われていたものが合体している姿です。清らかなものと濁ったものとを合わせることを清濁併呑と申しますけれども、お題目の信仰はただ合わせ呑むだけではございません。
濁った世界に根を下ろしながらも、地上に清らかな花を咲かせる、そこに南無妙法蓮華経の祈りがあるんです。
わかりやすく申しあげますと、悩みがあるから悟りもある。苦しみがあればこそ喜びも生まれてくる、ということなんです。

先般の甲子園、春の選抜野球大会で選手宣誓をしたのは東日本大震災の被災地、石巻工業高校の主将阿部翔人くんでした。 
あの大球場で「苦難を乗り越えればこそきっと幸せはやってきます」と言った言葉は日本中に感動を与えました。
やっぱりこれからの日本は、こんな若者たちのエネルギーが必要なんだと思わされました。
が、同時に、私のような高齢者の出番はもうないのかなとも、感じさせられました。
そう考えた時、若さ、それから老いたというこの二つの気持ち。二つの手のように真反対のものなんです。それならば若者と年寄りは心を合わせられるべき時が来ているんだとも考え直しました。

日蓮聖人のお言葉に心は…、失礼しました。体は違っても心がひとつになることを「異体同心」、そういう言葉でお説きになっておられます。
この苦難の時代を乗り越えるには、そういう若者と年寄りの合体がまさに必要な時ではないでしょうか。

手のひらのことを掌(たなごころ)と申します。でも心を棚上げにしてちゃダメですよね。
心の棚に生き方の整理をしていく。お互い手をつなぎ合ってそして生きていく。
日蓮宗徒である私たち。お題目のご縁をいただくものはまさにこの心がけで手を合わせるべきだと思います。
まぁ、かよううに申し上げまして、本日していただきました皆様とのご縁、お題目で結ばせていただきたいと思います。
ご唱和のほどよろしくお願い申し上げます。

【お題目】

有難うございました。