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お坊さんのお話

橘髙智光常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28

橘髙智光師は、平成29年2月21日、世寿77歳にて遷化されました。
法号「智説院日皇上人」。謹んで増円妙道をお祈り申し上げます。

橘髙智光常任布教師プロフィール:東京都文京区蓮華寺住職

【座右の銘】
修証一如:行と学は一つのもの
*今こそ学んだ事を実践にうつすことである。仏教はやさしい。ただ難しくしてしまっているのである。知らず知らずのうちに仏教語を使い、仏教的実践をしています。

【コメント】
老若男女、又病気の方でも健康な方でも赤ちゃんでも食べられる、おかゆのような話に心がける。笑って泣いて感動しつつ、信仰の大切さを説いていく。

【お題目】

「曇りなきひとつの月を持ちながら浮世の雲に迷いぬるかな。」
「曇りなきひとつの月を持ちながら浮世の雲に迷いぬるかな。」

曇りのない素晴らしい月を心に持っておりますが、浮き世のいろんなことのことによってですね、真っ黒になってしまいます。
汚れきってしまった心の月を皆様方どうぞご信仰によってきれいに洗い流すことがご信心ではないでしょうか。

さて、夢なら覚めて欲しい。これは夢だったんだろうか。しかし現実に起きました。昨年の平成23年3月11日、東日本を襲ったあの地震です。なんとマグニチュード9ということ、そして平静ならば30秒の揺れですよね。しかしあの時の地震はなんと5分15秒というじゃないですか。
人間を飲み込み、人家を飲み込んでしまったあの津波、80倍から90倍というすごい津波でした。
その時に避難している体育館で、8歳になる一人の少女がテレビのインタビューに答えておりました。
「私は自分のうちがあって、お父さんお母さんがいて当たり前だと思っていたんです。今は自分の家もなくなってしまった、お父さんお母さんも行方不明になってしまった。なんて今までの当たり前だったことが嬉しかったんだろうか」と涙を流しながら話をしておりました。

私たちも普段当たり前のことに、感謝しているんだろうか。この少女も一瞬の間に当たり前だったことがなくなってしまった。この目でものが見える、この耳でものが聞こえる、この歯でものが噛める。当たり前かもしれない。しかしながらこの当たり前のことが私たちは当たり前でなくなってしまった時、はじめて「あの時は有り難かった」と思うんじゃなくて、普段この当たり前のことに報恩感謝の気持ちを持つことが大切ではないでしょうか。この少女の幸多かれを私は心から祈りたいと思います。

そしてこの年の11月、皆様方もご承知だと思いますが、あの被災地にブータンから国王夫妻がやって参りました。そして、被災地の方々を見舞われました。
その国王夫妻の素晴らしいこと、私は今でもこの目から離れません。あの合掌のきれいなことです。素晴らしい合掌だったじゃないですか。あの被災地にいる本当に苦しい人たちがあの合掌を見て、感動致しました。そして子供たちを集めて話をされました。子供たちは涙を流しながら話を聞いておりました。

国王は、子供たちに向かってですね、「皆さん龍を見たことがありますか?今年は辰年ですよね、私はその龍を見たことがあるんですよ。皆様はどうですか?」と話された。
みんな首をかしげていた。すると国王は「龍はみんなの心の中にいるもんなんだよ。一人一人の心の中に龍がいるんだよ。その龍というのは経験を食べながら生きているものなんだ、成長していくものなんだよ」と子供たちに話された。

その国王の心にいる龍というのは仏心なんですよ。仏心を指して言っているんですよ。その龍は経験を食べながら大きくなっているというのは、仏道修行をしながらどんどんどんどん大きくなっていくものなんだよと話されたのです。
その国王の言う仏心というものは私たちもみんな持っているじゃないですか。仏性、仏心皆様方もみんな心の中に素晴らしい仏性があり、仏心があり、仏力があり、みんな兼ね備えて持っているのです。

昔、江戸時代に中江藤樹という儒学者がおった。その儒学者は素晴らしい心の教育をあちこちに講演して歩かれた。1608年、1648年の頃の人ですよ。なんと40歳でこの世を去った方です。素晴らしい儒学者だった。

その中江藤樹先生はあちこちに頼まれて心の教育をして歩いたと言われている。ある時、先生が一山向こうの村で話を頼まれた。
先生はその山を超えて行くには2時間3時間歩かなければ、向こうの村に着かなかった。それを「はいはい」と言って二つ返事で引き受けた。さあ、向こうの山に向かうには山越えをしなきゃならない。やっとその場所に着いて、2時間の話を終えて帰りかけた。もう辺りは真っ暗だった。
すると村人が「先生、泊まっていってくださいよ。」「いやいや、明日早いから、今日は失礼するよ。」
そして、まっ暗い山道を超えなければならなかった。その山というのは暗くなると、追い剥ぎが出ると言って有名な山だったんですよ。藤樹先生はそれを分かりながら山越えをして家路を急いだ。ちょうど中腹まで来た時に、噂通り「身ぐるみ脱いて置いて行け」とものすごい勢いで山賊が出てきた。
すると藤樹先生は「やっぱり出たか。お前が有名な山賊か。分かった。まあ私はまだ命が惜しい、身ぐるみくらい脱ぐのは簡単なことだ。」
そして藤樹先生は自分の着ているもの全て脱いでふんどし一つになった。「さあ持って行け。」持っている風呂敷包みも全部放ってやった。
するとその山賊がですね、
「お前びっくりしねえのか。」
「いや、びっくりはしねえ。お前が山賊ということは知ってたからだよ。」
「そうか、お前、職業何なんだ。」
「まあ職業ってほどじゃないけど、私は儒学と言って、心の教育をみんなに広めて歩いているんだよ。」
「なんだその儒学って。心の教育というのは。」
「いやあ、お前に言っても分からないだろうな。心の教育というのはそれぞれに仏心、ほとけ心があるということをみんなに教え導いているんだよ。」
するとその山賊は、
「仏心。その仏心というのは俺にもあるのか。」と言った時に中江藤樹先生、
「お前にもあるかな。まあ、お前にもあるだろう。」
「どこにあるんだ。」
「どこにあるって。じゃあ、お前、俺と同じような裸になってみろ。」
すると、山賊は言われた通りに着ているものを脱いだ。
そしてふんどし一つになった時に中江藤樹先生が、
「お前、犬だって猫だってふんどしなんかしねえぞ、お前。それも取れ。」
「そんな恥ずかしいみっともないこと出来ねえ!俺は猫と犬と違うよ。」
と言ったその時、中江藤樹先生が、
「そうか、お前は素晴らしい仏心を持っているじゃないか。今、恥ずかしいと言っただろう。猫と犬とは違うと言っただろう。その心がまさに仏心という素晴らしい心なんだよ」とその山賊に語った。
そして「お前は本当にそんな素晴らしい心を持ちながらなんで山賊というみっともないことをやっているんだ。」
それを聞いた山賊はその場で涙を流しながら、
「そうか、俺にもほとけ心があったんだ。先生の言う通り、本当にみっともなかった」
と言って、その中江藤樹先生の前にひざまずき、
「申し訳なかった。今日から先生の弟子にしてください」と手を合わせて謝ったんです。
その後立派な先生の弟子になり、真っ当な道を歩むようになったという話です。

誰もが仏心を持っている。それがどこにあるか分からず、私たちは今日まで来ているじゃないですか。

日蓮大聖人は、「当体蓮華鈔」というご文書の中に、
貧しい人が家はお金がない。子供が3人もいるがおいしいものも食べられないと泣いている。そうじゃないでしょう。あなたの家には素晴らしい一家だんらんがあるではないですか。家族の和はお金では買えませんよ。それに早く気付いてください。
「貧女が家中の秘蔵を忘れ、龍の身内の玉を宝と覚ざるが如し。我々凡夫の仏性というのは、雲の中の水、土の中の金、そしてまた、石の中の火、木の中の花。」
とお示しくださっております。

「雲の中の水。」

見えますか。見えませんよね。でもあれほどの雨が降ってくるじゃないですか。気がつかず、見えないだけですよ。私たちの心の中と一緒ですよ。

「土の中の黄金。」

あの土の中にあれほどの黄金があったのが見えたんだろうか。佐渡ヶ島の金山にしても掘ってみたらあれほどの金が出たじゃないですか。

そしてまた、「石の中の火。」

石と鉄をすり合わしたら、あれほどの火花が飛び交うじゃないですか。あの石の中に火のあるのが見えるんだろうか。見えませんよね。でもあれほどの火花が飛び交う。全く私たちの心と一緒なんですよ。

「木の中の花。」

3月の後半、4月の頭にかけて、あの桜の木に素晴らしい花が咲くじゃないですか。あの木の中にあの素晴らしい花があるのが見えるんだろうか。見えなかった。でも満開になった時の桜の素晴らしさ。

確かに心の中には素晴らしいものが私たちもみんな持っているんですよ。ただ、それに気がつかず終わってしまっているわけですよね。せっかくこの世の中に素晴らしい心を持ちながら生まれてきた私たちじゃないですか。この心で私たちは生かされているわけじゃないですか。

どうか、この素晴らしい心を持っている私たち、この素晴らしい命を大切にし、これからも素晴らしい生き方をしていかなければならない。

「慰めを求めて泣きし我なれど、捧げて生きる喜びを知る。」

今まで慰められて、人様から、優しい声を掛けてもらった。
しかし、これからは、私たちもこの素晴らしい、いただいた命を、人々に捧げて生きる喜びを知ることが大切ではないか、とつくづく思うのです。
生かされているこの命に感謝し、すべてのものの恩恵に、合掌の日々を繰り返して、過ごすことをお勧めいたします。

ご聴聞ありがとうございました。ご一緒にお題目お題目三唱宜しくお願い申し上げます。

【お題目】