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日蓮聖人の教え:お釈迦さまの教えを受け継いだ法華経の行者―日蓮聖人

日蓮聖人の生涯

1222年貞応元年
1233年天福元年
1237年嘉禎三年
1238年暦仁元年
1242年仁治三年
1253年
建長五年
日昭入門
1254年
建長六年
日朗入門
1258年正嘉二年
日興入門
1260年文応元年
1261年弘長元年
1263年弘長三年
1264年文永元年
小湊誕生寺 ◆2月16日千葉県安房郡小湊に誕生。
 幼名・善日麿
◆清澄入山、道善房(天台僧侶)に師事
5月12日、父母の元を離れ近くの天台宗清澄寺(現在は日蓮宗)で仏修行に励むこととなった日蓮聖人は、この寺で四年間、寝食を忘れて学問や修行に打ち込みました。
そして虚空蔵菩薩に「日本一の智者となしたまへ」と祈願されました。
清澄寺 千年杉
◆出家得度
天台宗清澄寺の道善房を師として正式に出家し、名を「是聖房蓮長」(ぜしょうぼうれんちょう)と改めました。
◆鎌倉遊学へ出発。念仏及び禅を修学。
◆鎌倉遊学より清澄山へ帰還。
 『戒体即身成仏』を述作。さらに比叡山へ遊学。
◆立教開宗
4月28日早朝、清澄山の旭森(あさひがもり)山頂に立ち、太平洋の彼方に暁闇を破って差し昇る朝日に向かって高らかに「南無妙法蓮華経」と、初めてお題目を唱えついに立教開宗の宣言をされると共に三つの誓願(上記記載)を立てられたのです。同時に名を「日蓮」と改められました。
立教開宗
◆辻説法を開始。
◆静岡県岩本實相寺にて一切経を閲読。
◆『立正安国論』を述作。松葉ヶ谷法難
7月16日、『立正安国論』を著し、前執権で幕府最高の実力者の北条時頼に送りました。この書は、地震・洪水・飢饉・疫病などの災害が起こる原因は、民衆や幕府の間違った信仰にあるとし、仏教経典を根拠に、正法たる法華経を立てなければ自界叛逆難、他国侵逼難などの災いが起こると説かれています。『立正安国論』が建白されて40日後、幕府や念仏批判に恨みを持っていた僧らにより、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされましたが難を逃れました。
松葉ヶ谷法難
◆伊豆法難
5月12日、日蓮聖人は、反感を持つ者の讒言(ざんげん)により捕らえられ、伊豆へ流されました。
伊豆法難
◆伊豆流罪赦免
◆小松原法難
ご説法に赴くため東条の松原の大路にさしかかった日蓮聖人一行は、地頭の東条景信(とうじょうかげのぶ)の軍勢に襲撃され、弟子一人は討ち取られ、自らも眉に三寸の疵(きず)を負わされました。
小松原法難