●人を照らせば、自分も照らされる
衣食御書
【えじきごしょ】
今回取り上げる『衣食御書』は、わずか九行分の断片が京都妙蓮寺に所蔵されている書状です。ただし、京都本禅寺に所蔵されている書状の断片〈断簡312〉が、その続きであると推定されています*1。
宛名は「尼御前」とありますが、これが誰なのかについては諸説あります。また書かれた年次についても一定しておらず、『昭和定本日蓮聖人遺文』では弘安元年〈1278〉とされていますが、最近では異説も出ています。
ひとまず、京都妙蓮寺蔵『衣食御書』の全文を掲げてみましょう。
「鵞目一貫給候了。それ、じき(食)はいろ(色)をまし、ちから(力)をつけ、いのち(命)をのぶ。ころも(衣)はさむさ(寒)をふせぎ、あつさをさえ、はぢ(恥)をかくす。人にものをせ(施)する人は、人のいろをまし、ちからをそえ、いのちをつぐなり。人のためによる……」
まず最初に「鵞目一貫」とありますが、「鵞目」とは硬貨のことです。硬貨の丸い形を、ガチョウの丸い目玉になぞらえた言い回しです。つまりこの『衣食御書』は、お金を送ってもらったことへのお礼状として書かれたことがわかります。
次に「食べ物をとれば血色がよくなり、力がつき、命が延びる。衣服は寒さを防ぎ、暑さを遮り、恥を隠す。つまり、他人に衣食を施〈ほどこ〉すことは、他人の血色をよくし、力添えをし、命を延ばすことなのです」として、「布施」の功徳を説きます。
他人にものを施す、という「布施」の実践は、菩薩が行うべき修行の基本「六波羅蜜」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六項目)の筆頭に掲げられています。
日蓮聖人は布施の代表例として、釈尊が前世で飢えた虎や鷹などの肉食動物に自分の体を与えたという壮絶な故事を引いておられますが〈『日妙聖人御書』〉、そうした命がけの布施と同じくらい、普通の食べ物を布施することも尊いとも言っておられます〈『事理供養御書』〉。
同様にこの『衣食御書』も食べ物、さらには衣服を布施することの功徳を讃えています。
つづいて、
「火をともせば、人のあかるきのみならず、我身もあかし。されば人のいろをませば我いろまし、人の力をませば我ちからまさり、人のいのちをのぶれば我がいのちののぶなり。法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。」〈この段、京都本禅寺蔵『断簡312』〉
たとえば火を灯して掲げ、相手を照らしたとします。するとその明かりは相手だけでなく、その火を掲げている自分にもおよびます。つまり他人を照らすことは、同時に自分自身をも照らすことになるのです。それと同じで、他人に布施をすれば、自分も豊かになる。人の血色をよくすれば自分の血色もよくなり、人の力を増せば自分の力も増え、人の命を伸ばせば自分の命も延びる……ことわざで言えば「情けは人のためならず」(相手のために行動すると、めぐりめぐって自分のためにもなる)、ということです。
このように日蓮聖人は、布施をすることは相手のためになるだけでなく、自分のためにもなるということを、灯火のたとえを用いて巧みに説いておられます。そして続いて「『法華経』は釈迦仏の血色であり、世尊の力であり、如来の命である」と説かれます。ここから『法華経』を信心すれば仏への第一の供養となり、そこで我々自身も功徳・利益を受けることになる、とうかがい知れましょう。
注釈
*1 『日蓮聖人真蹟集成』四(法蔵館、1977年)参照。



