ゼロから学ぶ日蓮聖人の教え

命を大事に、命を賭けて

富城殿女房尼御前御書

【ときどのにょうぼうあまごぜんごしょ】

今回取り上げる『富城殿女房尼御前御書』は弘安二年〈1279〉十一月二十五日のお手紙で、題号にある「富城殿女房尼御前」つまり富木尼に宛てられております。富木尼は、中山法華経寺の開基である富木常忍(1216-1299)の奥さんであり、六老僧の一人である伊予房日頂上人の母にあたります(詳しくは『可延定業御書』の解説を参照)。
富木尼は病気がちだったので、日蓮聖人は彼女の健康を気遣い励ます手紙をたびたび出しておられます。この『富城殿女房尼御前御書』の中でも、「貴女の命が、千年生きるという鶴・万年生きるという亀のように延びますように。貴女の幸せが、満月や満潮のように満ちあふれますように。そのように『法華経』にお祈りしております〈いのちはつるかめのごとく、さいわいは月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経にはいのりまいらせ候へ〉」という温かな言葉が述べられております。

ところでこの書状は、まず富木尼の息子である伊予房日頂上人が立派な学僧になったことを誉めたたえるところから書き出され〈いよ(伊予)房は学生になりて候ぞ〉、その日頂上人に同伴させて、越後房日弁・下野房日秀という二人の僧を富木家に避難させる旨を述べて締め括られております。〈さてはえち(越)後房・しもつけ房と申僧をいよどのにつけて候ぞ〉。
この越後房日弁と下野房日秀は、日蓮聖人の直弟子である日興上人のお弟子でした。つまり聖人からみると、孫弟子にあたる二人です。この日秀・日弁は駿河富士郡で布教にあたり、地域の農民たちに法華信仰を広めておりました。
ところが、このことを快く思わなかった地元の有力寺院が、日蓮門下の勢力拡大を恐れ、言いがかりをつけて農民たちを捕縛してしまいます。これがいわゆる「熱原法難」です。当然、農民たちを指導していた日弁・日秀にも危険が及んだため、こうして日頂上人の手引きのもとで富木家のもとへ一時避難することになったのでした。

さて、この「熱原法難」の際、捕縛された農民たちの取り調べに当たったのが、日蓮聖人をたびたび迫害してきた鎌倉幕府の要人・平頼綱でした。頼綱は農民たちに対し「南無妙法蓮華経の題目を捨てて、南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば放免してやる」と迫りました。ところが農民たちはこの要求を断固拒否し、声高らかに題目を唱えはじめたのです。結果、リーダー格と見なされた三名は斬首、その他は獄に入れられました。
こうして日弁・日秀の教化を受けた農民たちは、まさに命を賭けて題目を唱え、最期まで法華信仰を貫いたのです。このことについては日蓮聖人も驚かれ、「彼らが取り調べで責められた時、屈せずに南無妙法蓮華経を唱えたのは、ただ事ではない」と称えておられます〈『変毒為薬御書』〉。
日蓮聖人は、文字通り命を賭けて『法華経』を広めた行者はこの日本で自分ただ一人である、とつねづね仰っていました〈「日蓮一人みへ候か」『転重軽受法門』など〉。ところが日蓮聖人につづいて『法華経』に命を賭ける人々がついに出現し、しかもそれが貧しい名もなき農民たちであったのです。そういう点で熱原法難は、日蓮聖人の法華信仰が現実社会に具現化し樹立された一件として、歴史的に非常に重要な出来事であったといえましょう。

さらには、この農民たちを指導した日弁・日秀について、日蓮聖人が言及なさっている書状*1が近年発見されました。そこにはこう述べられてあります。
「日秀・日弁させる僧にはあらねども、浄行〈上行〉一分なり」
日秀や日弁は、これといった僧ではないのだが、それでも「上行菩薩」の一分なのだ……とあります。
上行菩薩とは、『法華経』従地涌出品第十五に登場する菩薩です。同品は、この世界の大地が裂け割れて、その裂け目から大勢の菩薩たちが踊り出てくる、というドラマチックな場面から始まります。この大勢の菩薩たちは大地から涌き出てきたので「地涌の菩薩」と総称されます。普段は「縁の下の力持ち」として地下にいるためか、誰にも名の知られていない菩薩たちでした。その地涌の菩薩のリーダーこそが「上行菩薩」なのです。
この上行菩薩は、日蓮聖人がご自身をなぞらえた菩薩としても知られています。しかし聖人はご自身だけでなく、孫弟子である日秀・日弁をも、上行菩薩になぞらえておられたのです。土に根ざして生きる名も無き農民たちを率いた日秀・日弁は、まさに地涌の菩薩を率いた上行菩薩のようだ……と、聖人は讃えられたのでした。

縁の下の力持ちとして、名も無き一人として、大切な命を賭けて『法華経』の信仰を貫いてゆこう。熱原法難を思うにつけ、そのような気持ちを新たにするものです。

 

注釈

*1 『日蓮宗新聞』2008年8月20日付の紙面で公開。後に都守基一先生が『日蓮教学研究』第2号で解読を発表。

一覧へもどる