第22章
●大事業の終幕
嘱累品
【ぞくるいほん】
前章如来神力品では、お釈迦さまの入滅後、特に末法(まっぽう)の衆生を救い導くために、地涌の菩薩という特別な師に、末法の衆生救済の秘法である特別な教えが付属(ふぞく)されました。
ただ、お釈迦さま亡きあとの時代は、末法だけではありません。まず正しい教えが弘まる正法(しょうぼう)という時代が千年、次にだんだんと形骸化し正しい教えに像(に)た教えが弘まる像法(ぞうぼう)という時代が千年、その後、いよいよ末法の時代へと入っていきます。この末法に法華経を弘めるならば、堪え難い数々の迫害が伴うことから、前章においては特別な付属がなされたのでした。
しかし、正法時代の衆生も、また像法時代の衆生も、みな等しくお釈迦さまの愛する子に他なりません。そこでお釈迦さまは、すべての菩薩の頭をなでられ、「長い長い年月にわたって修めてきた、この上ない法を、今、あなたたちに託します。一心にこの教えを弘め、人々に利益を与えるように」と、法華経の弘通を託されます。“嘱累”とは、お釈迦さまの滅後に法華経の教えを弘める使命を託すことであり、これがこの第22章嘱累品となります。
この嘱累品において、お釈迦さまの大慈悲のこころから起こった大事業がいよいよ極まり、多宝塔は閉じられ、分身の諸仏もそれぞれもとの国土に還り、虚空会は終わりをむかえます。
法華経の付属(付嘱)
お釈迦さまは、無量の菩薩に対し三度重ねて、「今もって汝等(なんだち)に付嘱(ふぞく)す。汝等まさに一心にこの法を流布(るふ)して広く増益(ぞうやく)せしむべし」と仰せになり、法華経の教えを多くの人々に伝えていくことこそ「諸仏の恩に報いることである」と、付属の言葉を結ばれます。
菩薩たちの誓い
このお釈迦さまの言葉を聞いた菩薩たちは、大きな喜びに満ちあふれ、ますます敬いの心を深め、頭(こうべ)を垂れて合掌し、お釈迦さまの仰せに応えます。
「お釈迦さまの仰せのとおりに、すべてそのまま実行いたします。どうかご心配なされませんように」
この誓いを、三度にわたって立てたのでありました。
この誓いの言葉は、法華経には「如世尊勅 当具奉行(にょせそんちょく とうぐぶぎょう)」*1 という八字で記されています。この八字に特に注目されたのが、日蓮聖人でした。
日蓮聖人は、この嘱累品における付属を、正法・像法二千年の衆生のためと理解される*2 一方で、自らが活躍した末法の視点から、この仏前の誓いは、“末法における法華経の行者守護の誓い”であるとの認識を強く示されています*3。
前章の付属は特別な地涌の菩薩に限られていましたが、本章の付属はすべての菩薩、さらには諸天善神(しょてんぜんじん)もが含まれています。みな、お釈迦さま・法華経によって救われた者たちであり、お釈迦さま・法華経に大恩のある方々です。
すべての菩薩、諸天善神は、法華経によって救われたからこそ、その恩に報いたい。ただこの知恩報恩(ちおんほうおん)の一心でいるところに、お釈迦さまの示された道が、法華経の教えを伝え弘めることでした。
正・像二千年の間は、それぞれが主体となって法を弘めていきます。しかし、末法においては、地涌の菩薩にのみ法華経を弘めることが託されており、その役割を失ったかというと、決してそうではありません。
末法においては、法華経・お題目を弘める“法華経の行者を守護する”という形で、この教えを伝え弘める大任の一端を担っていくのです。これが嘱累品で付属を受け、誓いを立てた者たちの使命であります。
すなわち、末法においては、地涌の菩薩(法華経の行者)も、それ以外の菩薩も、さらには諸天善神も、法華経によって救われたすべての衆生が総動員して、久遠のお釈迦さまの悲願成就のために、その力を尽くしていくのであります。
前章如来神力品における付属と本章嘱累品における付属*4、この二つの付属をもって、お釈迦さまの用意周到な大事業が幕を閉じることとなります。
注釈
*1 「世尊(せそん)の勅(ちょく)の如(ごと)く当(まさ)に具(つぶ)さに奉行(ぶぎょう)すべし」
*2 『曾谷入道殿許御書』昭和定本日蓮聖人遺文904頁
*3 『開目抄』『祈祷鈔』等においてこの点が特に強調されています。
*4 日蓮聖人は、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二までの「八品(はっぽん)」を大曼荼羅御本尊の世界として示されております。末法に始めて顕される大曼荼羅に、地涌の菩薩をはじめ、それ以下の菩薩、諸天善神等十界の衆生が名を列ねているのも、このような意味が含まれています。



