法華経と共に生きる人々

お題目に生きる

公開日時:2021/04/20

矢の走ることは弓の力

感応道交(かんのうどうきょう)はこういうことか、ふとした時に感じる

群馬県富岡市で祖父の代から続く商店を営むS・Mさん(71)。昭和25年1月に3人兄弟の長男として生まれた。

父親は戦争で負傷してしまったものの、母親と2人で何とか店を切り盛りし、経営が大変な時も家族で頑張り乗り切ってきた。

しかし、Sさんが17歳の時、母親が病気で亡くなってしまう。Sさんは高校を中退し母に代わり働き始め、店を継ぐことに。「家族のためにも頑張らなくてはならない」。そんな思いで必死に汗を流した。店も繫盛し、実弟は大学を卒業することができた。

そんな時に菩提寺の住職に声をかけられ、地域と寺を支える青年会の「蓮の会」に入会した。団体参拝で総本山身延山久遠寺に来ると「ここは以前、来たことがある」とデジャブを感じた。それからお寺の行事にも頻繁に顔を出すようになり、どんどんと法華経に惹かれていった。

何度も七面山に登詣した。池上本門寺のお会式では万灯を引き、纏を振った。子どもの夏休みの旅行では16年かけて全国の57本山へのお参りを行った。お寺での勉強会にも積極的に参加し、ご遺文を学んだ。

なかでも「矢の走ることは弓の力」(『富木尼御前御書』)はSさんの人生の教訓として心に残っている。妻がいるから夫があり、夫があるから妻がある。互いに助け合い、協力しなければならない。「今の理想的な夫婦関係があるのは日蓮聖人のおかげなのかも」と話す。

妻のT子さんが頑張ってくれるからこそ、夫のSさんも頑張れる。店も繁盛し、お寺では世話人・護寺会副会長としてなくてはならない存在となった。区長や社会福祉法人の理事長も務めるなど、地域社会への貢献も忘れない。この街で育ち、人に支えられてきた恩に報いるためでもある。

法華経を信仰するようになってからも苦労がなかった訳ではない。お店の取引先が減ってしまったこともあるし、お寺や地域の活動ではどうしても意見が合わない人もいた。理不尽なことを言われることもあった。それでも毎日お題目を唱えて心を落ち着けて、ご遺文から聖人の生き方を学ぶことで乗り切れた。どんなことを言われても、どんなに辛いことがあっても「ネガティブには考えないんだよ」というSさんを見ていると、常不軽菩薩が脳裏に浮かぶ。

「感応道交」という言葉が好きだというSさん。お題目を唱えたり、ふとした時に「こういうことだったのか」と法華経やご遺文の意味を感じる時がある。どんな状況でも折れることなく、年齢を重ねても学び続け、社会に貢献しようという向上心があるSさんにピッタリだ。

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