法華経と共に生きる人々

お題目に生きる

公開日時:2021/05/20

人を思い遣る心が何より大事

思い返すと日蓮聖人と三十番神さまにいつも見守られていた

「時代が変わっても大切にしたいものがある」。そう語る新潟県柏崎市F寺の総代T・Yさん(82)。Y家は鎌倉時代に日蓮聖人が佐渡島から鎌倉へお戻りになる際、柏崎の番神岬でお迎えした庄屋の家系の1つに連なり、F寺の総代を代々任されている。T子さん自身も6年前に亡くなった夫の後を継ぎ、檀家総代を務めている。ほかにも宗門史跡・番神堂のすぐ隣りの老舗旅館・M館の大女将として地元柏崎で知らない人はいない名士の1人だ。M館は4年前に惜しまれつつも閉業したが、T子さんをはじめ従業員の心遣いや、きめ細やかなサービスが忘れられないと、M館を懐かしむ声を今でもよく耳にする。

若い時は東京銀座のデパートに勤務。そこで夫と出会い、M館に嫁いだ。継いだからには有名にしたい。そのためには教育が必要と、かつての勤務先で培った社員教育を施し、業界指折りの旅館として名を馳せるようになった。また女将として朝も夜もなく働くかたわら、T子さんの物怖じしない人柄が見込まれ、当時の柏崎市長から都市計画の部会に招集されたり、地域法人会、日本旅館国際女将会、国際ソロプチミストなどの理事・会長など要職を歴任し、地元の発展にとどまらず、海外との交流にも活躍した。専門外のこともあり戸惑うこともあったが「T子さんに任せれば大丈夫。」と皆から頼られた。

もともとT子さんは東京・神田の生まれ。漬物屋を営む父親は職人肌で、よく働くがよく遊び、宵越しの銭は持たない、いわゆる"江戸っ子"だ。戦後の貧富の差が激しいなか、学校に行けない子どもがいれば区役所に乗り込み、そういう子どもたちが学校へ通えるように掛け合ったりと人のために尽くした。そういう父親が誇りだった。またT子さんの生家は本来別の宗派の檀家だったが、同居する祖母が熱心な法華経の信者であったため、毎日お仏壇で唱えるお題目を耳にして育ち、いつしか心の支えになっていった。

「生活環境が変わり今を生きる私たちは、ずいぶん長生きできるようになりました。そのかわりに心が満たされなくなったように感じます。向こう三軒両隣が助け合って生きる"下町のよさ"のような心の交流こそが大切なのではないでしょうか。80歳を超えた今だからこそ、自分が今まで経験したことを人のために役立てたい。今はお寺のことを勉強しています。信仰とは行いを通して身についていくもので、道はまだ半ば。人を救うため、自分を顧みず布教活動をされた日蓮聖人には尊敬という言葉では言い表せないものがあります。いつの日か霊山浄土でお会いできるものと楽しみにしています」と力強く語った。

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