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法華経と共に生きる人々

お題目に生きる

公開日時:2021/06/20

仏神の加護を得て生かされている

お寺にご縁持ちお題目、今は仏像迄彫るように

E・Nさんは昭和11年6月に満州の奉天市で生を享けた。3歳の時、母親の妹のもとに預けられ幼稚園を卒園するまで共に生活した。その後、実母のもとに戻ることができたが、叔母が他界、実母もE子さんが小学校入学後すぐに死別と悲しみが続いた。実母が雨降りのとき小学校まで傘を持ってきてくれたことは鮮明に憶えているが、それ以上の思い出を育む時間もなかった。当時、怖い思いをたくさんしたが、9歳のとき終戦を迎え、満州から何とか引き揚げてくることができた。頭を丸坊主にして少年の服装を着ての帰国だった。

その頃、国内ではコレラが流行り福岡県博多に着いてもすぐに下船ができなかった。弟は栄養失調で上陸寸前で亡くなった。悲しい思いをしながらやっと日本の土を踏んだ時のことは今も頭から消えることはないという。

やがて満州で警察の警視だった父が帰国。戦後の荒れ果てた日本で商売をしながら家族を養った。E子さんも高校を卒業後、技術を身につけようと理容師の道に進みインターン生として理容所で働いた。ある時、整髪を終えた修行僧が、E子さんを見て「あんたは神仏に頼って生きる人だ」と言い残して店を後にした。

やがて、理容を辞め会社勤めをすることにした。そんな時、同級生と再会し結婚。相手は日蓮宗の寺の息子で、ご縁があって寺の嫁となった。義父は誰からも慕われる僧侶だった。義父母からは日蓮宗のこと、お寺の行事など、いろいろなことを学ばせてもらった。長女を授かった頃、夫が自分は住職に向いていないからとお寺を出る決断をした。E子さんたちはその後、お寺を外から見ることになった。

やがて仕事を退職した頃、K仏像彫刻愛好会の先生と出会い入会した。仏足を彫り、仏像のいろいろな手の彫り方、次に仏頭へと彫り進めた。救世観音・釈迦如来・日蓮聖人像を彫りながら仏画教室にも通った。生前に義父が使っていた古くなった囲碁盤をいただいたときは、使える部分で七福神を彫った。夫はとても喜んでくれた。娘もおじいちゃんの形見が七福神になったねと言って、家の宝物になった。

平成最後の3月に、夫が旅立った。その悲しみ、淋しさを紛らわせてくれたのが写経だった。法華経28品を一生懸命に写経すると気持ちが落ち着いた。どこか救われた思いがあふれ出した。若い頃に出会った修行僧の言葉通り、神仏のご加護を得て生かされている自分を感じた瞬間だった。

日蓮宗とご縁をいただき、お題目を唱えることができた。E子さんは「ご先祖さまに感謝の真を奉げ、今ある稀有なる命に感謝し、今を一生懸命生きよう思います」と結んでくれた。

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