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この人に聞きたい

インタビュー

更新日時:2016/10/13

シリーズ「未来のお寺を考える」⑤

森の寺子屋 子どもたちに「いのち」伝える
~静岡県富士宮市・妙泉寺 川手正順師~

静岡県富士宮市。富士山を臨む里山の集落に長久山妙泉寺はあります。川手正順住職は自然豊かな環境を活かし、子どもたちにいのちの大切さや人間らしい「生き方」を伝えたいと2010年から「森と寺子屋のようちえん」活動を始めました。これは、北欧などで盛んに行われている野外保育「森のようちえん」を参考にした寺子屋活動です。年数回、継続して開催されてきたこの活動は、日蓮宗が募集した2012年「地域社会とお寺の活性化アイデアコンペティション」で大賞を受賞しました。今回は、活動するなかで見えてきた未来のお寺・僧侶像について、川手住職にお話を伺ってきました。

長久山妙泉寺
川手正順師

 

■森と寺子屋のようちえん

編集部)
2009年に住職になられて、その翌年から「森と寺子屋のようちえん」を始められたそうですね。昨年までの5年間は毎月開催されており、今年は4月と8月の2回開催されています。これだけ長く、継続して開催されているのはすばらしいことです。まずはこの活動のきっかけを教えてください。

川手師)
私はもともと僧侶以外の仕事も経験したかったのですが、自坊の事情により大学卒業後すぐに帰郷し、自坊の活動に専念することになりました。そうしてここで生活しているうちに、これからもここにいるのであれば、このお寺や地域を魅力的なところにしていこう、とそういう考えに至ったんです。それではこの場所の魅力はなにか、それはこの里山のある自然ではないかと思ったんですね。すばらしい環境なので、ここで寺子屋を開いたら子どもたちのためになるのでは、と思いこの活動を始めました。ただ当時は、寺の裏にある森は、草木が生い茂っていたので、まずはこの森を整備することから始めたんです。そうして整備をしてみると、視界が開かれて、富士山も臨める景色の良い場所になりました。

編集部)
寺子屋の開催にあたっては、地域の方のご協力もあったのでしょうか?

川手師)
そうですね。人手も必要ですし、費用もかなり掛かりました。特に森の整備に関しては、お寺からのお金だけではまかなえないので、県による森林整備のための助成金を一昨年から3年間にわたって受けています。その際には地域の森林整備を行う団体に間に入ってもらい、申請していただきました。また、この辺りの山はスギの木が多いのですが、それらをドングリなどの広葉樹の木に植え替えています。これは地域で植林をしているNPO団体にご協力いただいて、現在育てているところです。
森と寺子屋のようちえんの開催についても、一人ではできません。いくら森がきれいで良い場所だからといっても、私は自然教育については知識もない素人です。そんなときに友人から、自然ガイドをしている方を紹介していただいたんです。吉田さんというその方は、この近くにあるホールアース自然学校という団体の職員をされている方でした。ドイツなどで盛んに行われている「森のようちえん」活動に造詣が深く、さらに自然教育全般に知識をもたれている、まさにその道のプロです。吉田さんのお力を借りて、私と吉田さんの二人で、5年間活動を続けてきました。

編集部)
今年も吉田さんと活動されているのでしょうか?

川手師)
実は吉田さんはご家庭の事情で、昨年8月に東京へ引っ越してしまいました。ですからそこから半年間、活動をお休みしていたんです。今年4月の開催は、吉田さんの力を借りず「森の寺子屋のようちえん」を改め「森の寺子屋」として、今までの運営体制を変えて再出発してみたのですが、いくら5年間活動を続けてきたからといっても、なかなかうまくいかず中途半端なものに終わってしまいました。やはり私だけでの開催は難しい。この先どうしようかと悩んでいたときに、再びそのホールアース自然学校の友人を介して、自然ガイドの経験のある方をご紹介いただきました。小野さんとおっしゃるこの方に協力いただき、8月には充実した内容で活動を再開できました。この地域の人脈には本当に恵まれているなと感じています。

■お寺だからこそ「いのちを大切にすることを学ぶ」を表現する

編集部)
それでは改めて「森の寺子屋」の内容を教えていただけますか?

川手師)
この活動では、仏教の教えと自然活動を通して、心の動く体験を提供しています。人間らしい生き方を押しつけるのではなく、参加者と一緒にその生き方を考えていく、ということを基本にプログラムを組み立てています。
8月に開催したときの例をご紹介しましょう。小野さんにはイベントの進行役として参加いただきました。対象となるのは2歳~小学生くらいまでのお子さんとその保護者です。まず親子の皆さんにはお寺に集まっていただきました。そこで私も含めて自己紹介をします。一通り参加者のみなさんの自己紹介が終わったあとは、ミニゲームを行い、参加者の緊張をほぐします。初対面の方も多いのですが、こういうゲームを行うと自然に参加者同士の交流が生まれるんですね。ちょっとしたことですが、こうした仕掛けを取り入れることは、僧侶だけでは思いつきません。
みなさんが打ち解けてきたところで、本堂に移動して「みんなが事故なく安全に過ごせますように」という願いも込めて、お題目を唱えます。お子さんにも手を合わせて目を閉じていただきますが、本堂の雰囲気もあってか、みなさんじっとして心静かに手を合わせてくれます。そして、森にいる生き物や、いのちの大切さ、合掌の意味について、子どもたちにもわかりやすい言葉で伝える法話も行います。こういったところもお寺ならではのことではないでしょうか。「手を合わせることに自分自身だけでなく、相手も思いやるという意味がある」「森で出会うたくさんのいのちに対しても手を合わせたときと同じような気持ちでいましょう」などそういうことを伝えてから森に入るんです。
森に入る途中の道では、虫や草木に関するクイズがあって、子どもたちは楽しんでいました。森では昆虫採集やバッタの飛距離を競うゲームなどさまざまな企画をしながら自然と触れあいます。
その後は本堂に戻ってきてから、採集してきた葉っぱを使った団扇づくり。最後は記念撮影をしてお開きとなりました。

編集部)
自然やイベントを盛り上げるための深い知識や経験をもった方の協力は心強いですね。

川手師)
私はこの活動を続けてきて、いろいろと自然について学ぶことはありましたが、やはりこれを専門にしている方々のように「人に教える」というレベルまで達することは難しいですね。小野さんは草花や虫について、子どもたちに聞かれれば「これはなんという植物」「これはなんという虫」と即座に答えられます。そうした膨大な情報が頭に入っているんです。私もそうなれるよう、現在勉強中です。住職がそうした自然ガイドもできたらかっこいいですよね。

編集部)
一方で、お寺が行う自然教育ということで、自然のなかで子どもたちが単にのびのびとするだけでなく、住職がいのちの大切さを伝えることや、相手を思いやることの大切さを子どもたちに伝えることは、とても大切なことですね。

川手師)
ただ楽しければよいということであれば、遊園地やショッピングモールで良いと思っています。そうではなくて、ここで手を合わせて、いのちを大事にするということをみんなに伝えて、みんなに理解いただくことで、森の寺子屋を開催する意味が生まれるのではないでしょうか。

編集部)
子どもたちが森で生き物(=いのち)と出会ったとき、普通は興味の対象として生き物を見ると思います。この森の寺子屋では、さらにもう一歩前に進んで、そうしたいのちとの向き合い方、を伝えるということですよね。

川手師)
まさに伝えたいことはその通りなのですが、参加した子どもたちには、すぐに理解できなくてもいいと思っています。手を合わせても、その時はなにも感じないかもしれないですが、これを継続していくことで、大人になったときに「そういえば小さいときにそんなことをしたな」とどこかで引っかかってもらえたらいいんです。むやみに虫を殺してはいけないんだとか、自然と手を合わせるというところまで、大人だって一回じゃできないですよね。いつかわかってくれたら、とじっくり見守っていく感じでしょうか。
最初にお寺で合掌の意味やいのちの大切さを説いても、特に小さい子は森へでかけるときにはすっかり忘れていると思います。でも5分前までは私の話を聞いて、いのちを大切にしようという気持ちでいたんですね。だから忘れているけど、どこかでそういう気持ちが残っていて、いつかふとした瞬間に思い出してくれる。そう信じて続けています。

編集部)
継続していくことで子どもたちに徐々に伝わるということですね。

川手師)
今年は年3回開催の予定ですが、近いうちにまた毎月1回開催できるようにしていきたいです。毎月開催にこだわる理由は、1カ月で自然はガラリと変わるからです。例えば先月青かった葉っぱが、今月は赤く色づいている。そうした自然の移り変わりも感じてもらえます。
昔の子どもたちは毎日でも外に出ていました。私もここで育ったので、遊ぶといえば裏山で遊んでいました。でも今はプログラムをやらないと外にいる虫なんか捕まえないんですよね。親御さんもショッピングモールに子どもを連れて行く方が多いです。せっかくこうした森や里山がここにはあるので、その自然を普段から感じてほしいですね。

編集部)
たしかに積極的に子どもを自然のなかで遊ばせる親御さんは少なくなってきているのかもしれません。

川手師)
以前は親御さんが口出しをするので子どもが自由に自然と触れあえない、ということで、親御さんに口出し禁止をお願いしていました。ただそうすると後ろで親御さん同士がお話したり、スマホをいじったりしてしまうんですね。そうすると子どもたちにとってあまり良い影響がありません。最近は親子で虫を捕まえたり、ゲームに参加したりしてもらっています。親も一生懸命になることで、子どもも本気で遊ぶようになります。子どもを預けるのではなくて、親御さんも一緒になって遊んでくださいと伝えています。

編集部)
そうした参加者の皆さまのなかにはリピーターの方も多いと思います。この「森の寺子屋」に求められているものはなんだと思いますか?これまでの活動のなかで感じたことは教えてください。

川手師)
親御さんからは、子どもたちが手を合わせることについて好評をいただいています。これは学校では教えてくれませんからね。いのちの大切さを伝えてきたつもりなので、それが手を合わせるということから、少しわかってくれたのかなと思います。
「いのちを大切にすることを学ぶ」というお寺の機能があって、その表現の一つとして「森の寺子屋」があります。そこにきっと子どもたちや親御さんたちは良さを感じていて、毎回来てくれているのではないでしょうか。

■住職は「みんなのためにやりたい」ということを本気で示さなければならない

編集部)
これだけの活動を継続するにあたって、いろいろな方の協力があったと思います。地域の方とお寺がつながるときのなにかコツはあるのでしょうか?

川手師)
僧侶はもっと外に出て行って、地域のコミュニティーとつながることは大切です。ただし、中途半端な気持ちではなくて「本気でお寺を変えたいんだ」ということを心がけて、外に出て行かないといけないと思います。そういう気持ちがなかったら、例えば相手がプロの方の場合は、同じ熱量や理念、計画性を持っていかないと良い返事は返ってきません。少しでもこちらが手を抜くと、相手にはわかってしまいますね。
今年「森の寺子屋」として再開させるにあたって、協力者の小野さんに最初に相談したときに「なぜお寺で自然教育が必要なのか?寺子屋なのだから、仏教のことだけを伝えるだけで充分なのでは?私はそうしたことが明確でないと責任もあるし、引き受けることはできない」と言われてしまいました。私は5年間活動をしてきましたが、瞬時に寺子屋に自然教育プログラムが必要な理由を答えられず、ドキッとしましたね。小野さんから思いがけずそうした返答をいただき、私自身活動に対する気持ちが甘かったな、と反省しました。今まで自分はいかに他のスタッフに甘え、頼ってきたのか、どこかにおごりがあったのではないか、と感じます。小野さんとは、なぜ寺子屋に自然教育プログラムが必要なのかを何度も話し合い、そうして先ほどご説明した「仏教の教えと自然活動を通して、心の動く体験を提供する」というこの活動の理念をもう一度確認して、言語化しました。

編集部)
本気でなにかをしたい、という人には必ず協力をしてくれる人が現れるものですね。

川手師)
この地域は幸運にも、地域をなんとかしたいという気持ちをもった人が集まっているんですね。そういった方々がいらっしゃったから、県とつないでいただき、そして木を伐採する職人さんのご協力もいただけました。それでもまず自分から動いたことによって、そうした協力を得られるようになったのかな、とは思います。

編集部)
お寺からアクションを起こすとはいえ、お寺だけでやろうとしないことは重要なポイントですね。地域に対しての活動は、お寺は地域が求めていそうなところに、なにか方向性やきっかけを与えて、みなさんと協力をしていくという運営がよいのかもしれません。

川手師)
一方で、協力いただけるからといって、その方にまかせっきりではだめだとも思います。実は森を整備する際に、私は木を伐採する職人さんに怒られたことがありました。作業をお願いした際、私はお寺のなかにいて、現場に顔をださなかったんです。すると職人さんたちから「住職は本当にやる気があるのか」と言われました。森林所有者である私と整備者である職人という立場ではあったのですが、この森林整備に関して職人さんたちからすると「森の寺子屋を住職がやりたいと言うから、その意気込みがあるから参加している」という気持ちをもってくれていたのです。普通のお寺の改修工事とかそういうことではなくて、森で寺子屋をやりたい、というような強い理念があって、そこに集まっていただいたのであれば、住職はどれだけの熱量を持てるのか、ということが大事になってきます。みんなのためにやっているという気持ちがあるのであれば、本気でそれを示さないとみなさんにご協力いただけないんです。それからは自分も伐採のときは一緒にチェーンソーを持って森に入り、伐採した木を運び、弁当を食べました。現場の方と一緒に汗を流すことで、私を認めてもらうよう努めました。
そうして活動をしていると、檀家さん以外でも自然とお寺に協力をしていただける方も増えました。先日も庫裡の改修があり、檀家さんへ寄付を募ってはいたのですが、それ以外に、実は先ほどの職人さんたちが、「住職大変でしょ。おれたちもだすよ」と自腹を切って寄付していただいたんです。これは本当にうれしかったですね。
植樹活動をしているNPOに入っていただいたときも、NPOから学校をつないでもらって、その生徒さんに植樹していただきました。学校がこうしてお寺の活動に協力いただく、というのはなかなか難しいことなんです。これには感動しましたね。
こうした地域のご協力は、気持ちを持って動いたからこそ活動につないでいただけたのではないかと考えています。住職がまず動いていくようなことができなければ、お寺の未来はないと思います。

編集部)
本気で「地域を良くしたい」「お寺を魅力的な場所に変えたい」という気持ちをもって、地域の方々にご協力いただく、という姿勢が大切だということがよくわかりました。そして単にイベントをやればよいということではなくて「目標のためにこのイベントをやっているんだ」という明確なものがあるからこそ継続して活動できることもポイントでした。子どもたちには「いのちの大切さ」をすぐに理解してもらえなくてもいい。継続することでいつかわかってくれたら、というお考えは、実は大人にも言えることだと感じます。これに共感してさまざまなお寺でも寺子屋の活動が広がると良いですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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