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日蓮宗メールマガジン5月号

「安心」

五月となり新生活が始まり一か月。色々と不安を感じる人が多くなる時期ではないだろうか。寒暖差の激しい気候のせいか、心と体の調子の整いづらい季節でもある。

この時期に限ったことではないかもしれないが、かくいう私も色々と考え込んでしまう。

数日前に地元の布教師会で勉強会があった。若手の僧侶が自ら設定した場にあった法話をし、先輩方が講評をするというもの。その中で一つ気になった法話があった。

葬儀を想定したときの法話。

その法話を聞き、思ったことは、我々、僧侶は仏法を学び、生死の理を知ると人の死に対し悟ったと勘違いをおこし冷淡になってしまいがちである。それは果たして遺族の心を安らぎへと導いているのかと疑問に思うことがあった。

そこで、日蓮聖人は檀越の死に際して遺族にどう接しておられたのか、答えをご遺文に求めた。

「上野殿後家尼御前御書」には夫(南条兵衛七郎)を亡くし、さらには若い子供(七郎五郎)を亡くした母への最大限の慈しみの言葉が綴られている。

上野殿尼御前は、夫である南条兵衛七郎を亡くしていた。夫を亡くしていた時、今般亡くなった七郎五郎をおなかの中に身ごもっていたとされている。夫を亡くした時に身ごもっていた子供とすると、愛おしさは一入であろう思われる。

日蓮聖人は七郎五郎が兄、時光と供養を携えて身延へ参った時にお会いになっている。その三か月後、七郎五郎は突然亡くなった。七郎次郎はその年15歳であった。

「人が死ぬということは智者の愚者もみな知っていることであるから驚いたり嘆いたりしてはいけないと人に教えてきたが、いよいよその時になってみれば夢か幻か未だに実感がわかないものである。ましてや、その実の母の嘆きはいかばかりのものか。」と日蓮聖人は子の母と同じくに、悲嘆にくれておられる。

最後に「七郎五郎の死に実感が持てないでいるから、どのように書けばわからないでいる」と結ばれている。

更に追伸には「今年の六月十五日にお会いした時、肝のある、立派な男子だと思っていたが、また会うことができないことは悲しく思う。亡き父と手をとり霊山浄土参られるだろう」との言葉を添えておられる。

日蓮聖人は遺された遺族の心に寄り添い、心から慰められている。この言葉を贈られた母である上野殿御前はいかに力づけられたであろうか。

悲しみのどん底にある人に物事の理をつらつらと述べても響かないとの教えであろうかと思う。

日蓮聖人は750年も前から我々に「安心」を人に与えるとはこのようなことであると、身をもって教えて下さっているのである。

【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

10日 月例金曜講話
12日 伊豆法難会
28日 いのりの日