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日蓮宗メールマガジン9月号

「長岡花火 -死なない鳥は何度でも羽ばたく-」

今年の三月、ひょんなことから長岡に移住してきました。まだ時折、小雪の降るころですから、とても寒くどんよりとした空模様は、決して私を歓迎しているようには見えませんでした。檀家さん達からは「冬はこれがずっと続くのよ」と心配されましたが、「2,3年すれば慣れてくるでしょう」と返答するばかりでした。
移住して2,3か月たってまいりますと、檀家さん達との会話に必ずと言っていいほど「長岡花火」の話題が一度はあがります。一生に一度は見たほうがいいからと言われて観覧してまいりました。

今まで見たどの花火より美しく壮大で感動するものでした。

さてこの長岡花火ですが、二つの意味が込められております。それは「慰霊」と「復興」です。その歴史は古く1879年(明治12年)を起源として100年以上に渡り受け継がれてきました。その後太平洋戦争によって中断を余儀なくされたのでした。明治の初め、戊辰戦争で城下町長岡は焼けました。その焼け跡から、人々は商工業を興し、まち造りをして営々と発展をさせ近代都市を築き上げられたのです。その近代都市を戦争は見逃すはずがありませんでした。そして今から74年前の昭和20年8月1日午後10時30分。B29の無差別焼夷爆撃により、またも長岡は焦土と化し、1488人の命が燃え盛る炎の中、失われました。
その翌年、8月1日に長岡復興祭は幕を開けました。この日、復興祭を主催した県商工経済会中越支部、駒形十吉支部長は以下のように市民に訴えたのでした。

「今日のこの日を、復興のための意義ある記念日として犠牲者の霊を慰めるとともに、商都長岡の団結力を発揮し、住みよい長岡、理想郷長岡建設という、いばらの道を克服しよう」

こうして、まだ、街の隅々に瓦礫が点々とするなかで、長岡復興祭は誕生したのでした。
この精神は平成16年10月23日に発生した中越大震災にも発揮され翌年には復興祈願花火「フェニックス(不死鳥)」が誕生しました。この花火は市民が中心となり結成されたグループによって作られ、コンセプトは以下の通りです。

「被災したけれど、なんとか立ち上がろうと頑張り続ける大勢の人たちを勇気づけ、1日も早い復興を祈願し、世界一として誇れるような壮大な花火」

長岡花火は観光花火ではありません。市民の強い思いが形となった花火なのです。だから見た人々に 「今まで見たどの花火より美しく壮大で感動するもの」となったのでしょう。
この市民グループ代表の廣井晃さんはこのように語っています。

「震災がなければ、人の輪もフェニックスも誕生しなかった。私たちは大いなる不幸を新たなる希望に変える契機とした。」

日蓮宗のポータルサイトの今月の聖語コーナーで8月は以下のようなお言葉が掲載されておりました。https://www.nichiren.or.jp/words/

「滅するは生ぜんが為、下るは登らんが為」

日蓮聖人のお言葉を体現しているようなこの長岡の地を見習い、これから私も精進していきたいと思っております。

参考文献
関田 雅弘 (2009) 『長岡空襲』 新潟日報事業社
『長岡の空襲』編集委員会 (1987)『長岡の空襲』 長岡市
長岡まつり協議会 (2006) 『長岡大花火 祈り』 文藝春秋

【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

1日 先達修行(1〜21日予定、於・身延山)
3日 日向上人会
6日 月例金曜講話
12日 龍口法難会
17日 日親上人会
18日 池上御入山
20日 彼岸入り
23日 秋季彼岸中日
26日 彼岸明け
28日 いのりの日