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日蓮宗メールマガジン11月号

『苦しみを味わう』

5月に婆ちゃんが亡くなった。
秋田県の介護施設に入所していた婆ちゃん。死に目にも、葬儀にも行けなかった。
実感がまったくない。実感がないからか、悲しくもない。苦しくもなく、
何も感じない時間が、ただ過ぎた。

やっと会えたのは、二か月後。
骨壺に収まり、その前に遺影が置いてある姿だった。
「ごめんね」と声をかけて、御経と御題目をお唱えすることができた。
婆ちゃんの遺骨が安置されていたのは東京の実家で、
東京に来た理由はもう一つある。
父ちゃんの見舞い。
父ちゃんは、入院をしていた。
病院から見舞いの許可が出たこともあり、小一時間、他愛のない時間を過ごした。
殊に私の妻のお腹に、新しい命が宿った事を伝えると、満面の笑みを浮かべて喜んでくれた。
その10日後、父ちゃんは亡くなった。
父ちゃんの葬儀には、僧侶として、友人として、地域のつながりとして、またその関係性を超えて、多くの参列があった。

そして今、三か月が経ち、当時を振り返る。
当時、悲しいとか苦しいとかは、あまりなく、むしろ今の方が婆ちゃん、父ちゃんのことを思い出しては、胸が苦しくなる。
婆ちゃんがこさえてくれたご飯の味や匂い、こさえている後ろ姿。
お酒を飲み交わしながら、自慢話をする父ちゃんの笑顔。
街角のきれいな花を見ては、見せてあげたいと叶わぬ思いを抱く。
今、日常生活の中で、物思いにふけり、苦しみ、悲しみを感じている。

先日、檀家さんが亡くなられた。
介護施設に入所していて、息子さんからはなかなか面会出来ないことは聞いていた。
葬儀に向かう道中、私は私の婆ちゃんの事を思い出していた。
葬儀場に着き、息子さんとの話の中で、亡くなる数日前、介護施設に頼み込み、最後は家族が集まり、全員で静かに見送れたと話してくれた。
「よかった」
この時代に、稀な事だ。
私は心から安堵し、葬儀を執り行うことが出来た。

「苦しみ」「悲しみ」を知っている人が悟りを開く
とお釈迦様はおっしゃっている。
人それぞれ「苦しみ」「悲しみ」がある。
その一部を私は味わったに過ぎないが、確かに、味わった先に悟りへと続く道があることを実感する。
悟りを開くために必要なもの
それが、「苦しみ」「悲しみ」
「苦しみ」「悲しみ」を持っていない人はこの世に一人として居ない。
しかし、自らの「苦しみ」「悲しみ」に向き合わないで生きることも出来る。

今、激動の世の中で、生き方、考え方を再考する人が増えてきてる。
自らの「苦しみ」「悲しみ」と向き合い、味わうことで進むべき道が見えてくるのではないだろうか。
自らを良き道、悟りの道へと導く大切なもの。
それが「苦しみ」「悲しみ」なのである。

お詫び
文章中に祖母、父である師匠を生前中の呼称であえて、表記致しました。読みづらい点、多々あると思いますがご容赦くださいませ。

【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

11日 小松原法難会
13日 日像上人会
28日 いのりの日