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日蓮宗メールマガジン12月号

『吉祥天と黒闇天』

ある家の戸口をトントンと叩く音がしたので、主人が戸を開けると、綺麗な着物を着た美しい女性が立っていました。
「どなたですか?」
主人の問いに、その女性は答えました。
「私は吉祥天(きっしょうてん)と申します。」
吉祥天といえば福の神です。主人は喜んで彼女を家に迎え入れました。
しばらくすると、またトントンと戸を叩く音がします。主人が戸を開けると、粗末な着物を着たみすぼらしい女性が立っていました。
「…お前は誰だ?」
「私は黒闇天(こくあんてん)と申します。お気づきのとおり、私は貧乏神です。私の行くところは、どこも災難や不幸が訪れるのです…」
彼女はそう答えました。
「貧乏神なんかに入られちゃあ困る。とっとと帰ってくれ!」
追い払われた黒闇天は、戸口を離れながら呟きました。
「愚かな人…。先ほどの吉祥天は私の双子の姉で、二人はいつも一緒。私を追い出せば吉祥天も追い出すことになるというのに…」
主人が部屋に戻ると、そこにいたはずの吉祥天の姿も消えていました。

これは『涅槃経』という経典に出てくる説話です。
吉祥天と黒闇天は常に行動を共にしていて、決して離れることはありません。
つまり、楽と苦、幸と不幸、明と暗といったものは、両極端であるように見えて、実は表裏一体であることを教えています。

私たちは、福の神を歓迎し、貧乏神を嫌います。それが普通の感覚です。
しかし、生きていれば、良いことも悪いことも起こるのが人生です。
幸福だけを追い求め、不幸を嫌っていては、本当の意味での幸福にはなれないということを、この説話は教えてくれているのだと思います。

日蓮聖人は『四条金吾殿御返事』というお手紙の中で
「どのような賢人や聖人であっても、降りかかってくる災難からは逃れられないものである。されば苦しい時も楽しい時も、ただ南無妙法蓮華経と唱えなさい。これこそが法楽である。ますます強盛の信力を持ちなさい。」と仰っておられます。
法楽とは、仏法のありがたみをじっくりと味わい楽しむことです。

言うまでもなく、日蓮聖人のご生涯は、迫害や法難に満ちたものでした。しかし聖人は、難に遭われる度に「またひとつ法華経への信心を深めることができた」とありがたみを感じ取られていたのです。
命の危機に何度も瀕した日蓮聖人に比べれば、現代に生きる私たちに降りかかってくる難はとてもちっぽけなものに思えますが、当事者にとっては大きな問題であると思います。
たとえどのように苦しい体験をしたとしても、「お陰でひとつ成長できた」「お陰でよい修行になった」と感謝のお題目を唱えることで、そこから本当の幸せへの糸口を見出すことができるのではないでしょうか。
黒闇天のいるところには、常に吉祥天がいるのですから。

【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

8日 釈尊成道会
25日 宗務院御用納め
28日 いのりの日