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日蓮宗メールマガジン4月号

『仏様はみてござる 人知れずとも』

古来より日本人に愛され、日本を象徴する花である桜。

身延山久遠寺の境内に咲き誇る樹齢400年のしだれ桜は、全国的にも有名な桜の名所とされています。毎年参拝者の心を魅了し続ける桜は、コロナ禍にあっても変わることなく美しい花を咲かせていました。

しかし、ふと境内裏の山々に目を凝らしてみると、至る所に桃色の花を咲かせている桜が見えます。境内の大きなしだれ桜や参道沿いの桜は褒められる一方で、深緑に埋もれながらも山の中で咲いている桜をきれいだと目に留める方はほとんどいません。

それでも山の中にひっそりと咲く桜は、境内に咲くしだれ桜と同じように美しい花を咲かせています。

ふと、僧侶になって間もない頃に教えていただいた詩を思い出しました。

「あれをみよ 深山の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知れずとも」

禅宗の僧、松原泰道師が大学の友人と卒業旅行で箱根へ行った折、ふと目に留まった石碑に刻まれていた万葉仮名の詩と言われています。

「人からの目、人からの評価、そういうことを全く気にもせず桜は桜としての生き方を全うしている。私たちも周囲に注目されようとなかろうと、自らの信念・真心を貫いて生きていこう。」と松原泰道師はこの詩を生涯の教訓にしたとのことです。

だれかに注目されたい。自分がしている事を理解されたい。努力していることを認められたい。という承認欲求は誰しも少なからずあるように思います。

しかし、今のご時世どんなに努力をしても日の目をみないことが多くあります。
不安・孤独観から自暴自棄になりそうな時もあるでしょう。

『法華経』の「法師品第十」には
「もし説法者、空閑の処に在らば、我時に広く天・龍・鬼神・乾闥婆・阿修羅等を遣わして、その説法を聞かしめん」という一説があります。

「わたし(お釈迦様)の代わりに教えを説く者が、誰もいないような静かな場所で法を説こうとするならば、わたし(お釈迦様)は神やあらゆるものを遣わして教えを聞かせよう。」というお釈迦様が亡くなった後、お釈迦様の代わりとなって教えを弘める者を対象にしたお言葉です。

しかし、この教えを広い意味で受け取るならば、お釈迦様からすべての努力する人に対する励ましの言葉ではないかと私は感じています。

「誰も目に留めてくれない孤独なように思えても、あなたの頑張っている姿を私たちはちゃんと見ていますよ。」

誰かに認められなくても、努力している姿をきっとお釈迦様は見てくださっている。そう思うと少し心がホッとします。

「仏さまは見てござる こころの中もすることも」

人知れずとも自分なりの真心を尽くしていこうと、山桜をみて決意を新たにしたコロナ禍の春でありました。

【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

8日 釈尊降誕会(花まつり)
28日 立教開宗会・いのりの日