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日蓮宗メールマガジン11月号

「推(お)し」

「このあいだね、コンサートに行ってきたのよ。」
知り合いの良子さん(75歳)が目をキラキラさせ、高揚ぎみに話してくださった。良子さんは演歌歌手のM山ひろしさんのファンだ。『たしか、先日も行かれていたはず…』と思いながら土産話をお伺いしていた。良子さんは今どきの言葉で言い換えると「M山ひろし推し」かもしれない。
「ファン」という言葉は、特定のスポーツ・芸能などの熱心な愛好家・支持者・後援者の意味だが、最近よく耳にする「推し」とは少し意味合いが異なるようだ。「推し」は人に推薦したいと思うほどに好感をもっているもののことをいう俗語で、アイドル、俳優、アニメの登場人物、食べ物、ゲーム、鉄道、仏像など幅広く「○○推し」という言葉を使って表現する。異常なまでの熱意、何かを犠牲にしてでもというくらいの思い入れがあり、憧れ、敬愛、尊敬、崇拝も含まれているらしい。「南無妙法蓮華経」の「南無」とは敬意・尊敬・崇敬の意味がある。「推し」と「南無」は同じような概念が含まれているのだろうか。
日蓮聖人が御年55歳でお書きになられた『事理供養御書』に「南無と申すは天竺の言葉にて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」と述べられ、「南無」を言い換えると「帰命」であり身命と信心の志をお釈迦様(仏様)、そして法華経に捧げることだと仰られている。
「ただひたすらに会いたい」「自分や他のことを犠牲にしてでも」「心から信じ続ける」「恋い慕う」という熱い気持ちは「推し」にも「お釈迦様や法華経」にも通じるかもしれない。しかし、「推し」への思いはこちら側からの一方通行だが、お釈迦さまは違う。妙法蓮華経譬喩品第三には「今この三界は 皆これ我が有なり。その中の衆生はことごとくこれ吾が子なり。しかも今この処は もろもろの患難多し 唯我れ、一人のみ、よく救護をなす」と説かれている。この世の中にはもがき苦しんでいる人が大勢いるのでお釈迦様が苦しみから救ってくださると仰られている。そして、私たちは永遠のいのちをお持ちであるお釈迦様の子どもで、お釈迦さまは私たちを大慈悲の御心で見守り、導き、慈愛を注いでくださっているのだ。
「お釈迦様推し」と「妙法蓮華経推し」ではなく「南無妙法蓮華経」で私たちは永遠に安泰で穏やかで楽しく心豊かな人生を送ることができる。「○○推し」は一時的な自分の中の流行でいつか冷めてしまう。お題目の信心は永遠に途切れることなく続けていくことが大切だ。

参考・参照
○エンタメぱんだ.com ○『国語辞典』旺文社刊 ○『日蓮百話』高橋勇夫著 東方出版刊 ○『法華経・全28章講義』浜島典彦著 大法論閣刊

【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

11日 小松原法難会
13日 日像上人会
28日 いのりの日