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日蓮宗メールマガジン3月号

「三月庭訓」

「三月庭訓(さんがつていきん)」という言葉が御座います。
昔、子供たちに教えるために寺子屋や家庭などで使用された初歩的な学習書を往来物(おうらいぶつ)といいます。その中でも代表的な「庭訓往来(ていきんおうらい)」は1年12か月の手紙を集めたものです。これらの手紙には武士から庶民に至るまでの生活上必要な言葉が使われていることから、やがて寺子屋の教科書として使われるようになりました。子供たちは「庭訓往来」を手本として字を習い、社会生活に必要な様々な言葉を学びます。
「庭訓往来」は決して易しい内容ではないそうで、これを手本に書を習う決心をしたものの正月、2月までは続いても、3月のあたりで飽きてやめてしまう事があります。この事を「三月庭訓」といい、勉学などの長続きしない事や物事をすぐに飽きてやめてしまう事の例えとして使われます。
飽きやすく長続きしないという所では「三日坊主」という言葉が似たような意味を持つでしょうか。「三日坊主」は一人前の僧侶になることを志す修行僧が、すぐに世間が恋しくなり、頭の毛が伸びるのも待たずに脱落してしまう様子からいわれるようになったとされています。
飽き性の所がある私は僧侶でありながらも、つい「三日坊主」になってしまいます。そのため、これらはなんとも耳の痛い言葉であります。家には使われなくなったダイエット器具の山。ふと本棚に目を向ければ読み掛けの本の山。なにか一つの事を継続して続けることの大変さを日々痛感しているところで御座います。
日蓮聖人は『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』の一節で、
「或(あるい)は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり」と信仰の形をご教示下さっています。
火のごとき信仰というのは、教えを聞いたときは火が燃え立つように熱心に信仰をするが、時が経つとその熱が冷め、その気持ちを忘れてしまう事です。水のごとき信仰というのは、常に水が流れるがごとく、いつも途切れる事無く信じ続けることです。
正しい信仰の形というのは燃え尽きる事がないよう、川の水が流れるがごとく、静かに途切れずに続けるのが大切という事です。水は一滴ではなく沢山集まることで川のように流れていきます。一人ではたった一滴の水でも、共に励むものがあれば、それら他の水と合わさることで流れていく事ができます。
物事が続かない私で御座いますが、この「信仰」というものは、絶えず消えないように気を付けています。それは共に修行に励んだ僧侶の仲間や共に信仰を続ける檀信徒の方々のおかげで、有難くも成しえているのではないかと思います。一人ではなかなか続かない事も、励みになる存在があれば、自分の決意を忘れずに日々過ごす事ができるのではないでしょうか。

【お知らせ】
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4月の配信より日蓮宗ポータルサイトに掲載のお知らせや、日蓮宗公式ラインにて配信している法話の更新情報等、様々な情報をご案内してまいります。
今後とも日蓮宗メールマガジンをよろしくお願いいたします。

日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

8日 日頂上人会
16日 道善御房忌
17日 彼岸入り
18日 宗務院休業(18〜19日)
20日 春季彼岸中日
23日 彼岸明け
26日 日昭上人会
28日 いのりの日