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日蓮宗メールマガジン12月号

【今月の法話】

『慢心』

メジャーリーガーのイチロー選手が「勝たせたいと思わせるピッチャーと、そうでないピッチャーがいる」と語っていました。
非常に興味深い話だと思います。この話は野球だけに限った話ではなく、私たちにとっても身近な話だと思うのです。
「どうしてもこの人の為にしてあげたい」と思わせる人。逆に「こんな人の為に一生懸命やる必要はない」と思わせる人。
これは一体何の差なのでしょうか?
一般的には、人を大事にできているか否かではないでしょうか?
恐らく、うわべだけの付き合いでは「この人の為に」とまではならないでしょう。
また権力などで牛耳ている場合は、このようにはならないと思うのです。このように力で押していく人は、他者と常に勝負をしている心になっています。
そんなときはややもすると影で文句を言ったり、はたまた人をバカにすることで笑いをとったりします。
このときの心の状態は他者と比較することで悦に入る、修羅であります。
慢心という状態を7つで説明すると、以下のようになります。

慢(まん)自分より劣っている人に対して「自分の方が勝っている」とうぬぼれる。同等の人に対しては「自分と等しい」と心を高ぶらせる。
過慢(かまん)自分と同等の人に対して「自分が勝っている」とし、自分以上の人に対して「自分と等しい」と考える。
慢過慢(まんかまん)自分より優れている人に対して「自分はさらに勝っている」とうぬぼれる。
我慢(がまん)自負心が強く、自分本位のうぬぼれ。
増上慢(ぞうじょうまん)悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。
卑慢(ひまん)非常に勝れている人に対して「自分は少し劣っている」と思う。
邪慢(じゃまん)間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳がないのに徳が有ると思う。

これらは私たちの心の隙間に存在します。確かに自分を知るときには比較も必要です。
しかし比較することで慢心したり、卑下したりしていては、功徳も消え去ってしまうのだと思います。
時として比較は、自分を小さき者にしてしまいます。
比較の心なく、他者の徳を讃えられる人が本当の善人なのではないでしょうか?
損得で人を判断していませんか?
この人の為にと思ってもらえるような、布施行をしていますか?
清らかな心でお題目をお唱えして、正しく真理を見つめて参りましょう。

【お知らせ】

日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。

2日  月例金曜講話
8日  釈尊成道会
28日 いのりの日