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のんびり行こう ぶらりお寺たび 〜月刊「旅行読売」編〜
のんびり行こう ぶらりお寺たび 旅で出会った名刹で日蓮聖人の教えに触れる。そっと手を合わせ、癒やしのひとときを。

Vol.11 京都 京都の琳派と日蓮聖人の教え

2015年の「琳派400年」以来、京の名だたる芸術家が法華信者だったことが再認識されている。その足跡を求めて京都の名刹を訪ねる。

尾形光琳と日像上人開創の名刹

 機の音が聞こえてきそうな京都西陣地区の一角に、日蓮聖人門下京都十六本山の中心寺院、大本山妙顯寺がある。今から約700年前の永仁2年(1294年)、日蓮聖人から京都布教の遺命を託された孫弟子の日像上人が上洛を果たした後、都を三度も追放される「三黜三赦(さんちつさんしゃ)」の法難を乗り越えて元享元年(1321年)に開創した。
 京都洛中における日蓮宗最初の寺院で、宗門初の勅願寺にもなったこの名刹に、江戸時代中期、親しく出入りする芸術家がいた。琳派を代表する天才絵師、尾形光琳である。
 寺に伝わる「寿老松竹梅三幅図」は光琳の筆によるもので、琳派の祖の一人、俵屋宗達の「たらしこみ」画法(色を塗ってまだ乾かないうちにほかの色をたらし、色のにじみによる独特の色彩効果を生み出すもの)を用いて描かれているのが特徴だ。また、樹齢400年の赤松や梅の枝ぶりが見事な「光琳曲水の庭」は、光琳の屏風絵「紅白梅図」をもとに作庭されたものだという。
 寺から光琳へ出された借金の督促状、光琳がその利子を支払ったという記録も残り、寺と光琳の深い繋がりを感じる。
 約一万坪の境内には、壮大な本堂、華麗な勅使門、大玄関のある庫裏などが立ち並び、周囲には九つの塔頭がある。光琳はその塔頭の一つ、泉妙院に、陶芸家だった弟の乾山とともに眠っている。300回忌を迎えた2015年の命日(6月2日)には、妙顯寺開創700年慶讃、琳派誕生400年記念を兼ねた「大光琳祭」が営まれた。美術・工芸関係者が多く参列するなか、泉妙院に新しく尾形光琳顕彰碑が除幕された。宝物庫では、尾形光琳100回忌の際に琳派の絵師・酒井抱一によって奉納された「観世音図」が公開されて話題となった。
 宗達の技法を受け継ぐ光琳、光琳の画風を受け継ぐ抱一は、それぞれ直接教えを受けてはいない。芸術家たちの私淑(著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと)によって、時代を超えて受け継がれるのが琳派の特徴なのだ。人と人とが心で繋がり合う世界を目指す日蓮聖人の教えが重なり合う。実際、琳派の名だたる芸術家たちは日蓮宗を信奉していたのだ。

俵屋宗達のたらしこみ画法を用いて尾形光琳が描いた「寿老松竹梅三幅図」(妙顯寺蔵)
天明の大火(1788年)直後に復興された伽藍が並ぶ妙顯寺
日像上人の教えの広がりを表した枯山水庭園「龍華飛翔(四海唱導)の庭」と勅使門

本阿弥光悦と鍋かむり日親上人の寺

 日蓮宗の京都布教は、室町時代に「町衆」と呼ばれる上層町人階級に受け入れられたことで飛躍的に広まった。町衆は他宗からの迫害を受けても屈せず、彼らは結束をいっそう強めた。法華の教えは彼の暮らしの一部となって溶け込み、互いに助け合う町づくりのなかで町衆文化が花開いていく。
 この頃、町衆の家に生まれたのが、琳派の祖となる本阿弥光悦と、光悦にその類い希な才能を見いだされた俵屋宗達である。高い教養と斬新な発想で生み出される彼らの芸術の中に、法華の世界観はおのずと投影されたのではないか……。その答えを求めて、妙顯寺からすぐの本山・本法寺を訪ねた。
 本法寺は、室町時代に活躍した「鍋かむり日親さま」こと、日親上人によって創建された。灼熱の鍋をかぶせられるなどの苛虐を受けても信念を曲げなかった稀代の名僧だ。日親上人と、光悦の曾祖父である本阿弥本光(清信)は、巡り巡って獄中で出会った。以来、刀剣の鑑定や研磨を生業とし、京都の町衆の中でもトップクラスの家柄を誇る本阿弥家は、熱心な法華信者となり、本法寺を菩提寺として支えたという。
 日親上人の没後70年目に生まれた光悦は、上人の伝説や深い教えを聞かされて育ち、その胸には常に深い敬愛を抱いていたことだろう。日蓮聖人の御書「如説修行鈔」や「法華題目抄」なども熱心に学び、やがて自ら知足(ちそく)の暮らしを実践していった。
 芸術の才能は、「寛永の三筆」の一人に挙げられる書をはじめ、絵画、陶芸、漆芸など多岐に渡った。芸術に幅広く精通し、各分野の技を生かして繋げる“アートディレクター”としても大いに活躍した。
 本法寺は7300点にものぼる寺宝を有しており、光悦作庭の「巴の庭」や、同じく法華芸術の絵師として知られる長谷川等伯筆「仏涅槃図」の複製などが常時見学できる。また、光悦作「花唐草螺鈿経箱」も所蔵。その美しい文様を写し取ったオリジナル御朱印帳は人気だ。

円形石と蓮池で「日蓮」を表す光悦作「巴の庭」。光悦垣や光悦が作った蓮弁模様の手水鉢も配されている
本堂正面に掲げられる「本法寺」の扁額は光悦の揮毫

俵屋宗達の牛図が伝わる頂妙寺

 もう一人の琳派の祖、俵屋宗達ゆかりの頂妙寺は、京阪三条駅から北へ徒歩10分ほどの鴨川の東側にある。川端通から仁王門通を東へ入ると、格式の高さを示す五本線の筋塀と山門が現れる。境内には、大本堂、祖師堂、客殿、庫裏など大伽藍が立ち並ぶ。仁王門通の名の由来になったという二天堂には、鎌倉時代の仏師・運慶の作と伝わる毘沙門天像と持国天像が安置されている。
 開山は下総(千葉)の中山法華経寺から上洛布教した日祝上人。第二世は足利義晴の寺移転命令(1523年)と天文法難(1536年)で二度も堂宇を再建した日言上人である。第三世は、堺の豪商・油屋常言の次男で、宗門を代表する碩学(せきがく)と称され、後に堺の妙國寺を開創した日珖上人だ。
 日珖上人は、織田信長によって仕組まれた「安土宗論」に破れ、洛中の布教を禁止されるなどの弾圧を受けた。この時、宗風は一時衰微するが、後に豊臣秀吉によって宗論の理非が明らかにされて名誉は回復、加えて頂妙寺は朱印二十一石を賜ることとなった。秀吉からの洛中布教の許状は扁額に仕立てられ、今も二天堂の真ん中に掲げられている。また、日珖上人は徳川家康に請われて中山法華経寺の第十二世を継承。文禄3年(1595年)に、頂妙寺、京都・本法寺、堺・妙國寺の住持が輪番で中山法華経寺の貫首となる「中山法華経寺 倫司の式」を定めている。
 さて、俵屋宗達がこの寺と深く関わった時期は、日珖上人の頃かそれ以降……。宗達は、光悦(1558年~1637年)と同じ時代を生きたことは間違いないが、生年・没年ともに判っておらず(一説には1570年代の生まれ)、謎が多い。
 寺には、国の重要文化財に指定されている二幅一対の紙本墨画「牛図」が伝わる。宗達が編み出した「たらしこみ」画法を駆使し、牛の隆々とした筋肉や躍動感が見事に表現されている。普段はその複製画を観賞できる(事前に申し込みが必要)。
 境内墓地には、宗達の墓と伝わるものもあり、美術関係者やファンによる参拝が絶えることがない。

仁王門通の名の由来とされる頂妙寺の二天堂(写真提供:頂妙寺)
俵屋宗達によるたらしこみ画法の代表作「牛図」(頂妙寺蔵)。賛は公卿で歌人の烏丸光弘による(写真提供:頂妙寺)

光悦が晩年を過ごした洛北鷹峯へ

 光悦は57歳の時に徳川家康から洛北鷹峯に土地を賜り、一族や職人とともにその山中に移住。芸術活動と信仰に没頭した。これが琳派の発祥とされる「光悦村」の始まりだ。
 鷹峯へは、京都駅から地下鉄で13分の北大路駅へ行き、市バスに乗り換えて20分ほどの鷹峯源光庵前で下車する。昔ながらの民家や商家が軒を連ねる、緑豊かな山麓の町だ。
 まずは、バス停から徒歩3分、「光悦」の名を冠する光悦寺を訪ねた。光悦の没後、本阿弥家先祖供養の位牌堂を寺に改めて創建されたと伝わる。光悦が80歳で生涯を閉じるまで過ごした草庵もこの辺りにあったとされている。
 菱形の敷石を中央に並べた石畳の参道が山門までまっすぐにのび、イロハモミジの並木が美しい。参道を抜けると苔むした茅葺きの鐘楼、緑にとけ込む風流な庫裏が現れ、小径は七つの茶室が点在する山の斜面へと続いている。
 茶室のひとつ、光悦垣を巡らせた「大虚庵(たいきょあん)」は光悦の終のすみかを再興したもの。大虚とは虚空(こくう)、何も存在しない「空」の意であり、仏教の基本教理である「空」に由来する名と思われる。光悦垣は菱目の透かし編みと、弧を描きながら左へ低くなる輪郭を組み合わせた、やわらかな印象の竹垣だ。目の前には鷹峯三山のなだらかな山並みがあり、この景色は400年前とほぼ変わっていないという。その左手には京都市街や東山三十六峰が遠望できる。崖下を流れる紙屋川のせせらぎを聞きながら眺める洛中は、遠くにも近くにも感じられる。光悦はここで、質素ながらも気高く、そして心豊かな日々を送ったのだろう。

光悦寺の境内から鷹峯三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)のなだらかで優しい山容を望む
大正4年(1915年)に光悦寺境内に復興された光悦最晩年の住居「大虚庵」

光悦・光瑳父子が創設した鷹峰檀林

 鷹峯には、光悦が土地を寄進し、息子の光瑳(こうさ)が発願して開創された僧侶の学問所、鷹峰檀林の旧跡がある。光悦寺からすぐのところにある関西六檀林の一つ、常照寺だ。開基に招聘されたのは、日蓮宗総本山身延山久遠寺の法主も務めた高僧、日乾上人。本阿弥一族の外護のもと、講堂、衆妙堂、玄義寮、妙見堂など30余りの堂宇を完成させた。
 「天下随一希代の太夫」と謳われた吉野太夫も法華経を篤く信仰していたので、光悦を介して日乾上人に深く帰依している。「吉野門」と呼ばれる朱塗りの山門は、帰依の証として太夫から寄進されたものだ。檀林はその後、明治5年(1872年)の学制発布まで数百人の学僧で活気にあふれた。
 光悦村の本質は「娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど)」の顕現だといわれている。「努力次第で現世に浄土は拓ける」という意味だ。光悦が人と人との繋がりから生まれる芸術を尊び、法華経の学びを深める檀林を築いて、鷹峯で叶えたかったのは、法華の理想郷だったのかも知れない。その思いに強く共感したのだろうか、日乾上人や吉野太夫も遺言によりこの寺に墓がある。
 常照寺の書院に寄って抹茶と季節の和菓子で一息つくと、光悦が茶の湯も愛したことを思い出した。特に「草庵の茶」である佗茶に傾倒したという。美しい自然に囲まれた鷹峯で一服の茶とともにくつろいだ時間を過ごして帰りたい。

常照寺にある茶席「遺芳庵」。吉野太夫はこの欠けた円窓を眺めては、不完全な自分への戒めとした
吉野太夫23歳の時、帰依の証に寄進したと伝わる常照寺の吉野門
  • 大本山 具足山 妙顯寺(ぐそくさん みょうけんじ)京都市上京区妙顕寺前町514 TEL.075・414・0808 10時~16時 庭園拝観300円 宿坊(女性限定)1泊素泊まり1名利用6000円、2名以上利用5000円
  • 本山 叡昌山 本法寺(えいしょうざん ほんぽうじ)京都市上京区本法寺前町617 TEL.075・441・7997 10時~16時 庭園・宝物館500円
  • 本山 聞法山 頂妙寺(もんほうざん ちょうみょうじ)京都市左京区大菊町96 TEL.075・771・0562 10時~16時 拝観無料
  • 大虚山 光悦寺(たいきょざん こうえつじ)京都市北区鷹峯光悦町29 TEL.075・491・1399 8時~17時 11月10日~13日休 400円
  • 寂光山 常照寺(じゃっこうざん じょうしょうじ)京都市北区鷹峯北鷹峯町1 TEL.075・492・6775 8時30分~17時 400円(抹茶付き900円)