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のんびり行こう ぶらりお寺たび 〜月刊「旅行読売」編〜
のんびり行こう ぶらりお寺たび 旅で出会った名刹で日蓮聖人の教えに触れる。そっと手を合わせ、癒やしのひとときを。

Vol.16 東京 幻想的な万灯が練る東京三大御会式

御会式(おえしき)とは日蓮聖人の命日である10月13日を中心に営まれる法要のこと。都内の名刹で伝統の万灯(まんどう)練りに触れる。

浮世絵や俳句の季語にもなった御会式

 御会式のなかでも12日の逮夜(忌日の前夜)には纏(まとい)、団扇(うちわ)太鼓、鉦、笛、万灯で構成された講中による万灯行列が練り歩き、深夜までにぎわう。ちなみに万灯は講中によって異なり、五重塔を模したものや行灯型のもの、複数の提灯を付けたものなどさまざま。また、万灯のまわりに飾られた和紙のしだれ桜は、聖人が入滅された時に季節外れの桜が咲いたことに由来する。
 御会式の「万灯練供養」は古くから執り行われており、その様子は安藤広重の「江戸百景」にも描かれているほか、秋の季語となって松尾芭蕉の俳句にも残されている。

墓を意味する五重塔に、しだれ桜の花をあしらった万灯(写真提供:池上本門寺)

30万人の参詣者が訪れる「万灯練供養」

 東急池上線の池上駅から歩くこと10分、戦災を免れたという池上本門寺の総門をくぐると戦国武将・加藤清正が整備した此経難持坂(しきょうなんじざか)の96段の石段が現れる。
 日蓮聖人は弘安5年(1282年)、病身の療養と墓参のために総本山である身延山を下山し、常陸の湯へ向かう途中、武蔵国池上の郷主・池上宗仲の館で10月13日入滅した。日蓮宗に帰依していた宗仲は法華経の6万9384字に合わせ、約7万坪の寺域を寄進。これが池上本門寺の礎となった。
 大堂に祀られた日蓮聖人像は、7回忌の正応元年(1288年)に弟子の日持上人と日浄上人が大願主となって造立したもので、孝養を尊んだ聖人の在りし日の姿を映し出している。左手には入滅まで読んでいたという「内典の孝経」法華経第6巻、右手には母親の妙蓮尊儀の髪の毛を差し入れた払子を持つ。凛として力強く、穏やかな表情はまさに慈悲に満ち溢れている。
 聖人入滅の霊跡として信者の崇敬を集める池上本門寺の御会式は、10月11~13日の3日間にわたり盛大に営まれる。
 11日の供養式に続き、12日10時から日蓮聖人像の衣を夏物から冬物にかえる「宗祖御更衣法要」が営まれる。午後2時から営まれる「宗祖報恩御逮夜法要」では、全国からの集まった多くの参詣者が大堂で祈りをささげる。そして午後6時、池上徳持会館から池上本門寺までの2キロを練り歩く「万灯練供養」が始まる。その数、百十数講中、総勢3000人。深夜にいたるまでにぎやかに執り行われる。この日、池上本門寺には約30万人の参詣者がある。
 そして13日朝、特別説法「臨滅度時法要」では聖人が入滅した際に六老僧の一人、日昭上人が打った「臨滅度時の鐘」にならい、貫首が静かに鐘を打ち鳴らす。大堂に響く鐘の音に、聖人の遺徳を偲ぶ。

現在の池上本門寺の大堂は昭和39年(1964年)に再建(写真提供:池上本門寺)
江戸幕府の崇敬を受けていた池上本門寺は、街の発展とともに御会式も盛大になっていった(写真提供:池上本門寺)
御会式の際、大堂前には大角塔婆が立てられる(写真提供:池上本門寺)

地元に愛される厄除け祖師と御会式

 東京メトロ丸ノ内線の東高円寺駅を降りて環七通りを世田谷方面へ歩くと、ほどなくして妙法寺が見えてくる。地元では「堀之内のおそっさま」と親しまれる日蓮宗寺院の本山である。もともとは真言宗の尼寺だった寺を、日逕上人が母親の菩提を弔うため日蓮宗に改宗。元禄12年(1699年)に身延山久遠寺の直末となり、目黒区碑文谷の法華寺から現在の本尊を賜った。
 実はこちらの本尊には日蓮聖人ゆかりの言い伝えがある。鎌倉由比ヶ浜から聖人が伊豆に流される日、お供を申し出た弟子の日朗上人が役人によって櫂で打たれ、波打ち際に倒れ込んでしまった。そのとき、聖人は「旭が東天にかがやくときは、汝の無事であることを思う。日が西に照るのを見たら日蓮は伊東で無事であることを知れ……」と言い残し、船は浪間に消えてしまった。そのまま由比ヶ浜にとどまり、日夜祈りを捧げていた日朗上人はある夜、沖合から不思議な光を放つ流木を発見した。これを霊木として聖人の姿を彫り無事を願い続けた。それから3年後、赦免された聖人は、その像に自ら開眼して魂を込めた。この時、聖人が数えで42歳だったことから「厄除け日蓮大菩薩」と呼ばれるようになったといわれている。
 妙法寺の御会式は10月10日前後に薄い和紙で桜を作り、祖師堂を飾るお花講から始まる。12日には「お題目道場」、13日には「自我偈読誦会(じがげどくじゅえ)」や、お説教が寺で行われる。夜には「万灯練供養」が営まれ、団扇太鼓、笛、鉦のお囃子にあわせ、華麗な万灯の行列が妙法寺周辺の商店街をにぎやかに練り歩く。

落ち着いたたたずまいをみせる妙法寺の本堂(写真提供:妙法寺)
妙法寺の万灯行列は10月13日19時から行われる(写真提供:妙法寺)
妙法寺の境内を纏が賑やかに舞う。纏は江戸の火消し衆が参拝する際に始めたもの(写真提供:妙法寺)

雑司が谷の森に鳴り響く団扇太鼓

 山の手エリアのターミナル、池袋駅を降りると都会の喧騒が一気に押し寄せてくる。人波をかき分けながら雑司が谷方面に進むと、先ほどの喧騒とは打って変わって静かな路地に法明寺が現れる。春は桜の名所としても知られるところだ。
 嵯峨天皇の時代に真言宗の寺として開創された威光寺が正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子である日源上人によって日蓮宗に改宗、寺号も威光山 法明寺に改めた。その後、江戸幕府3代将軍・徳川家光から御朱印を授かり、歴代の将軍からの崇敬を集めるなど数多くの寄進を受けた。
 法明寺から参道を3分ほど歩いたところに、飛び地境内になった雑司ヶ谷鬼子母神堂がある。鬼子母神堂は室町時代、山村丹右衛門が本尊を清土鬼子母神(今の目白台あたり)から掘り出して、東陽坊(後に法明寺と合併)という寺に納めたことに始まる。安土桃山時代には村人によって現在の地に堂宇を建立された。さらに寛文4年(1664年)、安芸藩主浅野光晟の正室、自昌院によって現在の本堂が寄進された。平成28年(2016年)には国の重要文化財に指定、安産、子育ての神様として広く信仰を集めている。
 法明寺では10月13日に寺内で宗祖御会式が営まれている。鬼子母神堂では16日~18日に鬼子母神御会式を営み、普段は静かな雑司が谷もこの時ばかりは夜店の明かりが煌々と照り、団扇太鼓、鉦、笛の音が響き渡る中、多くの参詣者でにぎわう。18日夜には、池袋駅東口から50講中の万灯行列が鬼子母神堂まで練り歩き、その後法明寺の祖師堂(安国堂)へ向かう。この「万灯練供養」は、平成27年(2015年)に豊島区の無形民俗文化財に指定された。漆黒の夜空に揺れる万灯が、都心に秋の訪れを告げる。

周囲の緑が清々しい雑司ヶ谷鬼子母神堂(写真提供:法明寺)
明治通りを進む万灯練り供養(写真提供:法明寺)
雑司ヶ谷鬼子母神堂に到着した万灯行列(写真提供:法明寺)
  • 大本山 長栄山 池上本門寺(ちょうえいざん いけがみほんもんじ)東京都大田区池上1-1-1 TEL.03・3752・2331 参拝自由
  • 本山 日圓山 妙法寺(にちえんざん みょうほうじ)東京都杉並区堀ノ内3-48-8 TEL.03・3313・6241 6時~16時30分(春彼岸中日~秋彼岸中日は5時30分~17時) 拝観無料
  • 威光山 法明寺(いこうざん ほうみょうじ)東京都豊島区南池袋3-18-18 TEL.03・3971・4383 参拝自由/雑司ヶ谷鬼子母神堂(ぞうしがやきしもじんどう)東京都豊島区雑司が谷3-15-20 TEL.03・3982・8347 参拝自由