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お坊さんのお話

田端義宏常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28

田端義宏常任布教師プロフィール:青森県永昌寺住職

【お題目】

皆さんこんにちは。青森県永昌寺の住職、田端義宏と申します。しばらくお付き合いいただきたいと思います。

日蓮宗では平成19年より平成34年までの16年間、日蓮聖人ご降誕800年を期して、「立正安国・お題目結縁運動」という宗門運動を開始致しまして、既に1期4年が過ぎ、2期2年目に入ろうとしております。

宗門運動とはそれぞれのお上人様がやっている活動、それぞれのお寺でやっている活動とはまた違った、宗門全体で同じ方向に向かって、同じ足並みを整えて、同じ目的に向かって進んでいこうという運動だと思います。

では、宗門とは、日蓮宗とは一体どういう教団なのだろうか。日蓮宗では全国を11の教区に分け、その11の教区をさらに細分して74の管区に分けて、それぞれが、宗務所を中心として色々な活動を行なっております。その中にお寺の数は5178の寺院協会結社、お寺さんがあります。皆さん方のお寺もその一つに当たります。お上人方の数は8294人いらっしゃいます。8294人のお上人と5178のお寺さんがこれまでいろんな活動を皆さんと共にやって参りました。

従来、宗門運動というと、どうも宗務院が行う運動になりがちだったり、またはお上人やお寺さんの活動が宗門運動で、お檀家の皆さんは関係ないという風な受け止め方をされがちでした。

でも今度の「立正安国・お題目結縁運動」は違います。5178のお寺、8294人のお上人では足りない。もっともっとたくさんの方々に一緒に参加してもらいたい。

宗門は通常、檀信徒の数が385万人とも言われております。じゃあ、385万人でこの運動を推進したら数倍の力、または時間的にも広がりも多くなるのではないだろうか。そういう意味でこれまでと違ったお上人とか宗務院とか、お寺だけの活動ではない、檀信徒の皆さんと一緒にやる活動、そして世の中の皆さんに訴えていく活動、それが「立正安国・お題目結縁運動」という運動です。

でもこの名前ですと、なんか大上段に振りかぶってちょっとあまりにも日蓮宗のお上人方の言葉になってしまいます。それをもう少し簡単に出来ないだろうか。噛み砕いた言葉が、「敬いの心で安穏な社会づくり、人づくり」の運動ですよ、という解釈が付け加えられました。

これは、対社会的には但行礼拝という常不軽菩薩の行った、あの但行礼拝の精神で、立正安国の社会づくりをしようという社会運動です。

ですからお寺の中だけの運動ではありません。社会に向かってそれぞれがお檀家としてだけじゃない、社会人としても日蓮宗のご信者さんは違いますね、日蓮宗のお寺は違いますね、と言われるような活動を行なっていきましょう。

もう一つは宗門内部に向かっては「お題目結縁」という、お題目を通して宗門を再生していこう、これまでの宗門から新しい宗門に生まれ変わっていこうという、いわゆる信仰運動というのがこの運動の主旨だと思います。そしてそれをもっと簡単なもっと分かりやすい言葉に変えたのが、「いのちに合掌」というスローガンです。

第1期ではこの「いのちに合掌」、特に自死の問題にスポットをあて、年間3万人を超える自死者をなんとか減らそうという形で取り組んで参りました。第2期に入ってもこの「いのちに合掌」はそのまま継続し、さらにもっともっと進めていくような方向で現在取り組んでおります。

手を合わせる合掌、些細な行為です。皆さんの右の手と左の手を合わせるだけです。それだけで果たして世の中は変わるんだろうか。問題だと思います。

でも合掌には力があることを私は学びました。私は忘れられない合掌を二つ感じております。 

一つは、私の父であり師匠である、前住職の合掌でした。私の父は101歳で亡くなりました。90歳を超えてからは足腰がだいぶ弱くなって、100歳の頃には車椅子に座っておりました。いつも食堂でご飯を食べた後、車椅子に座っているのですが、私が車に乗って外出をする時、どういうわけかその車椅子から立ち上がって、私の車が見えなくなるまで窓から合掌してくれるんです。

私にとっての父のイメージは、おっかない人。子供の頃から厳しくされた師匠です。親父です。怖い親父が私の車が見えなくなるまでずっと合掌して見送ってくれる。ちょっと気持ちが悪いもんで、ある時、聞いたんです。なんでですかって聞いたら、いや、車で事故が起きないように、向こうへ行っての仕事がちゃんと出来るように、私なりに拝むしか出来ないから、お前に応援してるんだよって言ってくれました。

あの厳しい親父が私の車を、私を合掌で送ってくれた姿に私は感動しました。親父に対する見方が変わりました。

もう一つは、私の母の合掌です。母は89歳で亡くなりました。だいぶ弱って入院し、病院のベッドで寝たきりになりました。言葉が出なくなりました。ものが言えなくなっちゃったんです。それまではいっぱい言葉を言っていた母でしたけれども、言葉が言えなくなった母がその後とった行動は、ただただ合掌することでした。

お医者さんが来る、合掌する。お見舞いのお檀家が来る、合掌する。私たちが行く、合掌する。ただただ合掌するだけ、言葉はありません。でもその合掌がどういうわけか、人を変える。看護婦さんも合掌してくれました。お医者さんもお母さん元気ですかと言って、合掌してくれるんですね。

合掌は小さな行為だけれども、とても大きな力を持っているんじゃないか。そして、人を変える、人を変えるだけじゃない、自分が変わり、人が変わり、世の中が変わっていく、そういう力を持っているのが合掌ではないかと思いました。

「いのちに合掌」というテーマはそういう意味ではとても大きな意味を持つテーマであり、力のある運動だと思います。「立正安国・お題目結縁運動」というと大上段に振りかぶった何か凄い宗教的な運動になりますが、それを「いのちに合掌」という言葉に変えただけで、とても身近な、しかも上人だけではない385万人と言われる日蓮宗徒全員が出来る、しかもお年をとっても寝たきりでも出来る、言葉を使わなくても出来る活動、これが合掌という活動だと思います。

私のお寺の境内の入口に掲示板があります。そこに時々、内容を変えた掲示をしております。私はこういう言葉を書いたことがあります。

「握れば拳、開けば掌、振り上げればげんこつ、合わせれば合掌」

手のひら一つですが色々変わります。握れば拳です。開けば掌。お腹を撫でたり、頭を撫でたりできます。振り上げればげんこつですよ。その振り上げたげんこつを合わせれば合掌に変わるんですよ、という意味のことを書きました。物事は色々変化するんだよ。また、変化させなきゃいけないんだよ。

「立正安国・お題目結縁運動」という難しい言葉も、変化させれば合掌というひとつの行いにまで集約されます。と同時に、その合掌という小さな行為の中に、「立正安国・お題目結縁運動」という素晴らしい内容が秘められているんだ。私は社会づくりに繫がる、また人づくりに繫がる大きな意味をもった出発点が、合掌という行為ではないかと思います。

ハーバード大学の教授で国際政治学者、そしてアメリカの頭脳とか知性と言われたサミュエル・ハンチントンという方が数年前に本を出しました。21世紀は、文明の衝突の時代ですということを書きました。当時は、文明は集約されてひとつにまとまっていくだろうという時代に、サミュエル・ハンチントンは、違う文明が衝突してもっともっと激しい争いの世がくるだろうと予想されました。現在、世界はイスラム、キリスト教、いろんな思想が文明がぶつかってまさに混沌とした時代になっております。

その異質な文明と文明が一つに溶け合う、統合されていく、私は合掌という姿は、まさに異質なものが共にひとつに重なり合っていく姿が合掌なのではないかと思います。そういう意味ではこの運動はとても大きな、宗門の中の運動だけではない世界に通ずる、大切な運動ではないかと思います。

もうひとつこういう文章を本で読みました。草柳大蔵さんがその著書の中で書いた言葉でした。
「家庭にあっては親は子供を恐れ、教室にあっては教師は生徒の機嫌を取り、社会にあっては年長者は年若い者から頭が固いとか権威主義者と言われるのを恐れて、軽口と冗談ばかり言っているようになった。」
まさに現在の日本の教育環境といいますか、世の中を表しているなあと思ったんですけれども、ふと見るとなんとこの文章は今から2500年前、ギリシャの哲学者プラトンが当時の古代ギリシャの社会を書いた文章だったそうです。なぜそういう時代になったのか、こう書いてあります。

国家や社会に規範がなくなり、全てが自由と開放に置き換えられたためだ。全てが自由と開放に、そして規範がなくなった。柱がなくなった、魂がなくなった時に人々は、世の中は、家庭は、教育は、崩れていくんだと思います。そしてこうなった時にこの古代ギリシャは滅び去ったと書いてあります。古代ギリシャはあっという間に滅び去ってしまいました。

私は今の日本の社会の様子を見ていると、この古代ギリシャとそっくりの状態で後を追いかけている。しかも急な坂を転がり落ちているような気がしてなりません。もしも今この時代に日蓮聖人がいらっしゃったならば、どういう『立正安国論』を書くだろうかな。どういう言葉を私たちに問いかけるだろうかな。その思いを胸に秘めながら、私たちはこの立正安国・お題目結縁運動、また「いのちに合掌」という小さな合掌の中に集約させていきたいなと思います。

東日本大震災では15854人の方が亡くなり、3155人の方がまだまだ行方不明だそうです。とても痛わしい限りです。でもあの災害をただ大変な災害だったと終わらせないで、あの災害から学ぶことはたくさんあったはずです。

「いのちに合掌」の「いのち」、これは人の命だけではない、動物や植物の命、物の命、時の命、色々な命が大切なのだということを私たちは学ばされたと思います。どうぞこれからみんなで一緒に「いのちに合掌」をテーマに、宗門運動を盛り上げていただきたいなと思います。お題目を三返お唱えして終わりにしたいと思います。

【お題目】