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心の散歩道

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「なぜ人を殺してはいけないのか」

「なぜ人を殺してはいけないのか」という中学生の問いかけが大変な問題になり、話題になりました。雑誌は特集を組み、各界の識者が慌てふためいてたように答えを用意しました。

この問いが意識的に発せられたのか、何げない問いかけだったのかわかりません。また哲学的に宗教的に、ある意味でとても深い問いかけだったのかもしれません。

しかし、どちらにしても、なんとも自己本位な問いかけには違いありません。それに特集まで組んで、あらゆる方面からの答えを総動員しなければならないのは、あまりにも命の尊厳さを無視したような異常な殺人事件が頻発しているからでしょう。

もちろん、ずっとずっと昔に、社会を維持する知恵で、人を殺してはいけないと意志決定した時代があって、決して本能で決めていたわけではない。ということはわかります。

しかしそれにしても、「殺してはいけないから殺してはいけない」とただ一言で一喝することができなくなってしまっているほどに、今の日本は頭でっかちの冷たい社会になってしまっているのでしょうか。なんともやりきれない空しさ、恐ろしさを感じてしまいます。

仏教では縁を大切にします。縁とはよく網に譬えられます。網はたくさんのロープが繋ぎ合わされてできあがっています。この繋ぎ目の一つひとつが私たちの有りようだというのです。繋ぎ目のどこを触っても網全体が動きます。このように、私たち一人ひとりは繋がりあい関係しあって生きていると教えるのです。自己本位とは、この綱の目をズタズタに切りさく作業はもちろん困りますが、当然自分自身が一番の被害者になってしまいます。

網全体の存在に十分の注意を払い、そして自分自身を大切にする、これが仏教がいう「生かされて生きる」ということだと、私は受け取っています。