心の散歩道

心の散歩道

2015年

人の命

「富士山を見に行きたい」と、昨年の春、義母に誘われ妻子と共に出かけることになりました。残念なことに2泊3日の旅行のうち2日目までは、全く富士山を見ることができませんでした。最終日、満を持して、もう一度、絶景の場所にトライしてみました。峠を越え、トンネルを抜けた瞬間、そこには、今まで見たこともない広大な富士山の絶景が広がっていました。言葉を失い、義母と共に車から下りて写真を撮り、その絶景に酔いしれました。

それから、半年後…義母は帰らぬ人となりました。全く前兆もなく突然のことでした。

昨年11月に調子が悪いと連絡を受け、妻と病院に行くと、先生からは想像もしない言葉が帰って来ました。「年は越せません」と。耳を疑いどうすれば良いのかわからなくなりました。病院からは手の施しようがないので、他の病院を探して欲しいとも言われ、谷底に突き落とされた感じを受けました。しかし、他の病院を探す時間も無いままに義母の容体は日に日に悪化し、新年を迎えることなく12月9日、最期の日を迎えました。

僅か1か月の闘病生活の間、義母は、病院の先生には苦しまないようにして欲しいことを伝え、義兄には葬儀社を指定。葬儀で使う遺影の場所や、借りていた畑の後始末、空き家になってしまう家のこと、田舎にある墓の移転のこと、息子の仕事の心配、娘の病気の心配、いろんな話をして最期を迎えました。あっと言う間のことで何とも潔い最期でした。

妻と結婚してから、義母には心配ばかりかけてきました。衣の繕いは、裁縫が上手だったのでいつも義母に頼んでいました。富士山の旅行が唯一の恩返しになったのかもしれません。

日蓮聖人は「昨日は人の上、今日は身の上なり」と仰っておられます。義母の冥福を祈りながら、心して日々精進しなければいけないと思いました。