
信心の姿
昨年米寿を迎えた母と身延参りに行ってきました。朝勤に参列、杖を頼りにご廟所にもお参りしました。
母は戦後の傷跡が癒えない頃、縁あって岡山に嫁ぎ、父の師匠の家族と暮らすようになりました。お寺での生活の中心は、お祖師様にお仏飯とお茶湯をお供えすることでした。寒い冬も暑い夏も欠かさずお給仕して60数年の年月がたちました。
昨年の大晦日を数日前にしたある日のことでした。熱く沸かしたヤカンのお茶を渡り廊下にこぼしながら、とぼとぼと本堂に上がってくる母が
「もうこれ以上朝のお給仕はできん」
と、泣きながら言ったとき、私が責任を持って母の後を継ぐと誓いました。翌日から母の歩行は不自由になってしまいました。私の勤行中にお給仕していることが当たり前のように思っていた私でしたが、その日から大変でした。
ご飯は炊飯器が準備してくれるのですが、お仏飯を盛って諸堂に上がりお灯明とお線香を灯し、お茶が沸くのを待ってまた本堂に、往復すること三度。時間にすると30分はゆうにかかります。受け継いで半年が過ぎようとしています。お祖師様にお給仕することですから苦痛だとは思いませんが、私の朝勤は短くなってしまいました。申し訳ないことです。
輪島塗の職人さんが某テレビの取材に「職人は芸術家とは違うんですよ。毎日毎日同じことを繰り返して一人前になるんですよ。若いときにはアホくさいと思ったこともありましたが、今は仕事場に座ることが楽しみになっています。仕上がった塗り物を見ると嬉しくなりますよ」と、語っていたことを思い出しました。
母は60数年間変わりなくお給仕してきました。それも信心一途の姿でした。その重みをひしひしと感じ、心が熱くなります。少しでも元気になって欲しいと毎朝手を合わせないではいられません。