
試練
私が小学生のころ、お寺によくお参りに来られていたご夫婦がいました。私たち兄弟は、そのご夫婦、特に目が不自由だった奥様には、よく可愛がってもらいました。
そんなある日のこと、いつものように学校から帰るとお寺が騒がしくなっています。母から、「いつもお参りに来ていたおじさんの家が火事になった。おばちゃんが亡くなった」と聞かされました。火事はご主人が留守中のことで、目が不自由だった奥様は逃げ遅れたそうです。火事で家は全焼してしまい、奥様のお葬式はお寺で行われました。
奥様に先立たれたご主人は以前にも増してお寺に参るようになり、お寺の行事には欠かさずお手伝い下さり、身延山にも毎年参り信仰を深められました。私が住職になってからも謙虚で前向きな姿勢は変わりませんでした。
やがて、遠くに暮らしている一人息子に孫が産まれ、80歳を迎えようとするご主人も、曾孫の成長を楽しみ、穏やかな日々を過ごしていました。
そんな折、息子さんの身体に癌が見つかりました。
涙ながらに我が子に先立たれてしまうかも知れない寂しさを話されたこともありました。
ご主人は「拝んどけば、お祖師さんが守ってくれる」と一生懸命に拝まれていました。息子さんは病院の先生もびっくりするような回復を見せ、仕事にも復帰できるようになりました。しかし、5年の闘病生活の後、彼は帰らぬ人となりました。その2年後、ご自身も病となり「お祖師様が迎えに来てくださる」とお題目を唱えながら静かに亡くなられました。
ご主人は生前、「信仰していると試練を与えられることがある」とよく話されていました。試練を静かに受け止め、ただひたすらに手を合わせ信仰に精進されたご主人の後ろ姿に多くのことを教えていただきました。