
あたりまえのありがたさ
「あいたたッ、痛い」先般、またぎっくり腰なのか腰が痛みだし歩けなくなりました。急にこんなことになるので参ってしまいます。数年前に初めてぎっくり腰を患いましたが、その後は元気でしたのに。今回はゆっくりなら動けましたが、情けないことでした。それでも数日で治り、また普通の生活にもどることができました。
喜んで歩き回っていましたが、今度は足の踵あたりが痛みだし、また歩行不能に。一歩動こうとすると激痛が走ります。またまた足を引きずりながらしか歩けません。足の後ろのほんの一部が痛むだけなのに体が支えられないほどの痛みです。何が原因なのかわからぬまま、これも幸い数日で回復することができました。
普段はあたりまえに歩いたり動いたりしていることが、なんとありがたいことかと身にしみました。「ありがたい」の対語は「あたりまえ」だそうです。毎日の生活、決してあたりまえではないですね。このありがたいことを、いつもは忘れてしまっています。
お経の中に「近しといえどもしかも見ざらしむ」という言葉があります。仏様はいつも私たちのそばにいてくださり、私たちのことを見つめてくださっているのに、私たちはその仏様を見ることができないといわれます。というより見ようとしないのかもしれません。仏様がそばにいてくれるなんて考えたこともなく、知らぬ顔をして平気です。私は一人で生きています、と。そうでしょうか? 私たちは多くの方に見守っていただいて日々無事に生活をさせていただいているのではありませんか。
今日一日の無事に感謝。あたりまえに思えることができる日々に感謝。ちょっとだけでも、仏様のお陰、仏様に見守られていてありがたいと手を合わせましょう。