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心の散歩道

心の散歩道

2019年

自分でつかむ、自分が行う

お経の中にこんなたとえ話があります。

あるところに立派なお医者さんがいました。仕事で出かけている留守に子供が誤って毒薬を飲んでしまいます。帰った父親のお医者さんは急いで薬を調合して、苦しんでいる子供に与えます。すぐ薬を飲んだ子供は治ったのですが、言うことをきかない子供は泣きながら苦しんでいます。医者の父親は困り、方便を使ってこんなことを子供に言います。「私はもう年老いて死も近い。このよき薬を今ここに置いておくから取って飲んでおくれ」と。そして使者に、医者の父親が旅先で亡くなったと方便で子供に伝えます。驚いた子供は悲しみ、心がやっとめざめて、父親が置いてくれた薬を自分で取って飲み、苦しみから救われたのです…。

永遠の命のお釈迦様が今も私たちを見守ってくださっている、とのたとえ話ですが、お経を読みながらいつもこのたとえ話の意味を思います。素直に薬を飲まなかった子供に、父親の医師はむりやり飲ませていません。自分で飲むことを願って身を隠します。そこに深い意味があるように思います。このたとえ話の医師の父はお釈迦様、素直でない子供は私たちのこと。お釈迦様は、大事な教えを今ここに留めておくから、あなた達はどうかこの教えを信じてくれよ、自分でつかみ自分で信じる行いが大事だよといわれています。

そうですね。いつも自分で素直にできません。お経も自分でなかなか読めません。誰かがしてくれる、誰かが教えてくれる…。私たちはいつか死を迎えます。その時間が迫ってきています。今、私たちは生きているうちに、お釈迦様が一番の宝と言われたこの法華経を、自分で信じ、読み行うことが大事でしょう。まだ間に合います。自分でつかむ、自分で信じ行うことを頑張りましょう。