
先ず臨終の事を習うて
先日、関東に住む元檀家の方からお手紙をいただきました。
先代住職の時には、遠隔地ながら檀家付き合いのあった方ですが、それ以後数十年お付き合いがなく、年賀状の遣り取りだけが残り、私自身お目にかかったことも、お話をしたこともない方です。
お手紙の内容は、ご自身が高齢になり後のことが心配になったので、生前に法号(戒名)をもらいたいとのことでした。
長年大企業に勤め、退職の後にはいろいろと旅行なども楽しんできたけれども次第にその余裕も無くなってきました。息子は仏事には無関心。自分の父母は岡山のお寺から法号をもらっていたが、葬儀は関東のお寺で営み、その後の一周忌や三回忌もすべてそのお寺に頼んでいました。しかし、現在はそのお寺とも疎遠になっているので、昔を思い出して岡山のお寺にお願いしたいとのお話です。
お寺に毎年年賀状をいただいている方には、私自身は面識がなくても、先代からのご縁だからと年賀状を送っている場合があります。この方もそういった中のおひとりでした。
ご返事には「法号は仏様のお弟子としてのお名前です。仏様から直接お名前をいただくことはできませんので、僭越ながら仏様に代わって菩提寺の住職が師匠となり、檀家さんに仏様のお弟子としてのお名前である法号を差し上げています。
私はあなたのことを存じませんし、師匠でもありません。また、亡くなった後に私が引導を渡すことや後のご供養をすることをあなた自身は望まれてはいないとのこと。でしたら、今からでも近隣のご縁のある御寺院を訪ねて檀家になり、後の心配のないようになさったらいかがでしょうか」と書きました。
『先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし』との宗祖のお言葉が身にしみます。