
当たり前が有り難い
新型コロナウイルスの感染が広がり始めてから2年が過ぎました。感染拡大する前と比べますと私たちの生活は一変しました。
常にマスク着用の生活となり、会いたい人にも会えず、行きたいところにも行けず、すべてが感染予防の為に制限される事態となりました。新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちから「当たり前」だった生活を奪ってしまいました。同時に今までの「当たり前」だった生活が実はとても「ありがたい」ことにも気づかされました。
さて「ありがたい」を漢字で書くと「有り難い」となります。つまり「滅多にないこと」、「あり得ないこと」、「思いもしないこと」が起きた時に使う言葉が「有り難い」ということなのです。
この「有り難い」の反対の言葉が「当たり前」だそうです。では「当たり前」とはどんなことでしょう。
朝には目が覚める。ご飯を食べる。布団で寝る。仕事ができる。学校に行ける。友人に会える。歩ける。もっと言えば、生まれてきたこと、生きていること。「当たり前」の毎日が、明日も同じようにやってくると思っていること。私たちはすべて「当たり前」のことと思い生活しています。しかし「当たり前」と思い生活していることも、思いもよらず一瞬にして「当たり前」では無くなる可能性があります。実は私たちの一つ一つの生活こそが「当たり前」では無く、奇跡の連続であり「有り難い」ことなのです。
お釈迦さまは「人間に生まるること難し やがて死すべきものの いま生命あるは有り難し」と仰せです。人間として受け難き「命」を授かり、いま、ここに生かされていると諭されています。
どうぞ「当たり前」の「有り難い」ことに感謝を捧げながら生活してください。