心の散歩道

心の散歩道

2023年

しりやけ

「しりやけ」。良い言葉ではありませんね。あきっぽく、一つのことに集中できない人。また、そのような人をののしっていう言葉です。

私は子どもの頃から両親より「おまえは飽きっぽく、しりやけだ。なにやかにや やろうとするが、最後まできちんとやりとげることができない」と、よく言われ、叱られました。

例えば、絵の宿題でも入選を目指し最初は丁寧に鉛筆で描いているのですが中心部だけで、隅々がデタラメ。色をつけても、途中で面倒くさくなり、手抜きになってしまい、白いところがいっぱいある始末。工作で紙飛行機を作っていても、はじめの「よし、やるぞ!」の心意気はどこへやら、糊付けははみ出し、注意散漫で翼のあちこちは破れ、とても飛びそうにはありません。面白そうだと、ねだって買ってもらった本も、しまいまで読んだ本は数えるほど。

長じても、よほどのことがない限りそのしりやけは直りません。あれが良いと聞けば飛びつき、これが素晴らしいと耳にすればやってみる。けれど、どれもこれも中途半端。あるとき、見事な篆刻作品に出合い、よし、これだ!、と確信し、ノミや彫刻刀、形のよい桜材、教則本を求めて取りかかりました。が、ノミの研ぎ方や、木の目の読み方も知らない者に、熟練した方のようなものができる筈がありません。高価だったノミや彫刻刀は今もベランダの隅で眠っています。

お釈迦さまだって、難行苦行を続けられお悟りになられました。松下幸之助さんや稲盛和夫さんの自伝や本を読むと、ご苦労に出合うと、これでもか、これでもかと、努力や工夫を継続されて成功に繋げておられます。辛抱努力する人には天も味方します。

私に足りなかったのは辛抱です。もしも辛抱という心棒を持っていたなら、もうちょっとは立派な人間になっていたのではないかと今更ながら思っています。