
下駄屋と傘屋
昔話に、嫁いだ2人の娘を思う「下駄屋と傘屋」という老婦人の話があります。
この老婦人は寝てもさめても、天を見上げては終始泣いていることから、「泣き婆さん」と呼ばれていたそうです。
ある日のこと、泣き婆さんの噂を聞きつけ、和尚さんが哀れに思いその家を訪ねます。
「あなたは毎日泣いているが、何がそんなに悲しいのか?」
老婦人は
「私には2人の娘がいます。1人は傘屋に嫁ぎました。天気が良い日は傘が売れず辛い思いをしているだろうと考えるだけで、涙があふれてくるのです。もう1人は下駄屋に嫁ぎました。雨の日は下駄が売れず辛いだろうと、また涙が出てくるのです」と話します。
その話を聞いた和尚さんは微笑んでこう諭しました。
「あなたの考えは正反対ですよ。晴れたら下駄屋の娘が喜んでいると笑い、雨が降ったら傘屋の娘が喜んでいると考えればどれだけ楽でしょう」
和尚さんの言葉に目が覚めるような思いをした老婦人は、それからはニコニコと笑顔で暮らすようになったそうです。
よく聞く例え話ですが、コップに水が半分入っています。貰った人は「半分も入っている」と有り難く思う人もいれば、逆に「半分しか入っていない」と文句を言う人もいるといいます。
1杯のコップの水のたとえのように、私たちは同じ物を見ていても、そのもの以上の見方をする方と、全く正反対の見方をする人に別れます。私もそうですが自分の物差しで、見たいように見て、聞きたいように聞き、好きなように解釈してしまいます。人、それぞれの捉え方ですが、どちらが幸せなのでしょうか? 不足を言うより少しでも良い捉え方で過ごしたいですね。