心の散歩道

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2016年

税所敦子と歌

朝夕の つらきつとめは み仏の
人になれよの 恵みなりけり

この歌を詠んだ税所敦子は明治天皇、皇后両陛下に仕え、「明治の紫式部」とも呼ばれた歌人でした。

敦子は江戸時代の末、京都の生まれ。幼少より聡明で学問を好み、6歳の時、歌会で初めて歌を作り、その天分に満座の人々は驚嘆しました。その後、良き師匠を得て、学問や歌道に精進し、その才能を開花させました。

しかしながら、18歳の時、父が病死。当時京都の藩邸に単身赴任をしていた薩摩藩士の税所篤之の後添えとして嫁ぐことになりました。

夫篤之は書も絵もたしなむ才能ある武士でしたが、気性のはげしい薩摩隼人。家庭では敦子に何かと厳しく当たりました。それを敦子は柳に風と受け流し、夫に貞節を尽くし、篤之も次第に敦子を可愛がるようになり、娘徳子も生まれました。

しかし、幸せは長く続かず、その三年後、夫篤之は病死。娘徳子も重い疱瘡にかかります。必死の看病と神仏への祈りにより、徳子の命は取り留めましたが、母一人、娘一人の母子家庭。再婚の道もありましたが、敦子は夫の故郷まだ見ぬ薩摩に下る道を選びます。薩摩には義理の母と娘が暮らしており、敦子は幼い徳子の手を引き、初めて薩摩の税所家に入りました。

姑は近所でも「鬼婆」と噂される評判の意地悪。敦子もひどい仕打ちを受けますが、少しも恨む心を持たず、一意専心に姑に尽くしました。仏教の教えが敦子の支えになっていました。ある日、姑が「鬼婆」を入れて嫁の苦しさを歌に詠んで見せろ、と難題をふっかけます。それに対し敦子は、

仏にも まさる心と 知らずして
鬼婆なりと 人のいふらん

と詠みました。

この優しい三十一文字に姑の鬼の角も折れ、すっかり敦子に信頼を寄せるようになりました。

敦子は仏の教えを胸に波乱の生涯を誠実に送りました。