
喫茶去
私のお寺では、一年間に使うお茶はまとめて静岡のお茶屋さんから取り寄せています。今年も新茶が五月に届きました。早速仏さまにお茶湯しました。あまりにもおいしそうでしたので、自分の分も入れて本堂に持っていき、御宝前の仏さまやお祖師さまのお顔を拝みつつ一緒にいただきました。
おいしいのです! 新茶ということもあったのでしょうが、仏さま方と一緒にお茶をいただいているというなんともいえぬ安らぎ、ぬくもり。包みこまれているような、やさしく見つめられているような、少し叱られているような……。そのような感覚の中でいただいた一杯のお茶、いやー、じつにおいしかった。
それからです。毎朝のお勤めのときのお茶湯、この時も自分の分も持っていくようになってしまいました。
正面の御宝前にお供えし、鬼子母神さま、妙見さま、七面さま、清正公さまがお祀りしてある脇座にお供えし、歴代住職のお位牌棚、永代預かりのお位牌棚に、少し離れた三十番神堂にお供えして、お灯明をともしてお線香をたてて、礼盤に座って、一息つきます。そこには、自分の分のお茶が置いてあります。
「ご相伴させていただきます」。
ゆっくりゆっくり一口ずつ味わいます。仏さま方のお顔を拝みつつ、これから読むお経を頭の中で確認しながらご相伴させていただくのです。わずか一分ほどにも満たない時間ですが、心が落ち着いてくるのがわかります。
仏さまへのお茶湯と一緒に自分もお茶をいただくなんて不謹慎なことかな、と思わなくもないのですが、「喫茶去」と、有名な禅語もあるくらいですから、「まあ、お茶でも飲みなさい」と、仏さまも微笑してくださっているに違いないと、勝手に解釈しています。朝、お仏壇の前での一杯のお茶、最高の癒しの時間になること、うけあいです。