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心の散歩道

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2015年

桜の遺したもの

本堂の前にしだれ桜がありました。毎年きれいな花を咲かせ、人々の目を楽しませてくれました。花弁は小さいながら枝一杯に花をつけ、しだれ桜特有の花びらが下を向いた形から、梢を見上げると視界すべてが見事に花・花・花……になってしまいます。

樹形も美しく、一般的なソメイヨシノの開花よりも一週間ほど早く咲くこともあって、新聞に大きな写真入りで掲載されたこともありました。

樹齢は40年を越え、本堂の軒を越えるほどの大きさでしたが、ここ数年樹勢が次第に衰えてきました。花が小さくなり、花をつけない枝が増えてきました。庭師さんと相談して、消毒をしてみたり、栄養剤を入れてみたりしたのですが、衰えを止めることができないまま、昨年の春の開花を最後に枯れてしまいました。

昨年、桜の花が散った後、今までなかったことですが、赤くて堅い小ぶりな実がなりました。しだれ桜は最後の力を振り絞って子孫を残そうとしたのかもしれません。いくつかの実は大切にとっておきました。

桜の木は切るに忍びなく、しばらくそのままにしていたのですが、次第に大きな枝が折れて落下するようになり危険なので、根元から伐採しました。

枯れた原因については病気のせいか、虫のためなのかわかりませんが、庭師さんが後日、周りの土を掘り返してみると、意外なほどに根が張っていないことがわかりました。通常の木の場合、空中の枝振りと同じくらい地中に根を張って木を支えているとのこと。目に見えない地中の根が大きな幹や枝、美しい花を支えているそうです。

今更のように思います。私たちの日々の生活も目に見える力と共に、目に見えない無数の力によって支えられていることを。その力が十分でないと私たちの日常も衰えていくのかもしれません。父母・祖父母・曾祖父母……ご先祖様。目に見えない力の大切さを桜に教えられた気がしました。