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今月の聖語

今月の聖語

凡夫(ぼんぶ)は志(こころ)ざしと申す文字(もんじ)を心へて仏になり候なり。

『事理供養御書』/
建治二年(一二七六聖寿五五歳)

【凡夫と志ざし】

凡夫とは仏教用語で煩悩に束縛されている人間を指しますが、それは普通に生活している私たちのことです。そして仏教が一番に目指しているのは、普通に生活している私たちが仏となることです。

 
仏になる道は「南無」と唱えて心を磨くことです。簡単そうですが「命がけで信じていくこと」であり、とても難しいことです。そこで日蓮聖人は凡夫の信行「南無」のあり方としてこの聖語を示されたのです。
 
では「志ざし」という文字は何を示しているのでしょうか? それは心の目標であり、誓いであり、心に残し止めるということです。
 
夏のオリンピック、秋のパラリンピックの選手たちに、私たちは大きな感動をおぼえました。それは結果だけではありません。選手たちが志ざしを立て、周囲の人々の思いを心得て試合に臨む姿からです。私たちも仏になりたいと志ざしを立て、それは周囲の人々に仏を見出すことだと心得て、お互いを仏として拝み合う安穏で住みよい社会づくりに進んでいかなければなりません。