●まず臨終のことを習って
妙法尼御前御返事
【みょうほうあまごぜんごへんじ】
今回取り上げる『妙法尼御前御返事』は弘安(こうあん)元年〈1278〉に書かれたお手紙で、題号にあるように「妙法尼」という篤信の女性に宛てられております。妙法尼は駿河国岡宮に住んでおり、弘安五年〈1282〉に逝去(ちなみに日蓮聖人もこの年に亡くなられました)、しかし彼女の夫はそれより早く弘安元年〈1278〉に亡くなっております。妙法尼は、先立つ夫の臨終の様子を日蓮聖人に報告し、それに対する返事として聖人がお書きになったのがこの『妙法尼御前御返事』となります。
その夫の臨終について、妙法尼は次のように伝えております……夫は妙法蓮華経の題目を昼夜唱えておりましたが、息を引き取る直前にはさらに高らかな声で二唱いたしました。遺体は生きている間よりも色白で、その形も損じてはおりませんでした。
これを受けて日蓮聖人は、素晴らしい臨終であると讃えておられます。まず遺体が色白であったのは、成仏したことを示す吉兆であると、天台大師智顗(ちぎ)の『摩訶止観(まかしかん)』などを引きながら評します。また息を引き取る際に『法華経』の題目を二回唱えたことについては、『法華経』第七巻の如来神力品第二十一の経文「於我滅度後 応受持此経 是人於仏道 決定無有疑(お釈迦様が亡くなられた後の世において、この『法華経』を受持する人は、仏道において決定して疑いない)」を引いておられます。
『法華経』を受持する、つまり南無妙法蓮華経を唱える人は、成仏が決定して揺るがない……ゆえに臨終、すなわち一生の最後に南無妙法蓮華経と唱えたことで、これまで一生のうちに積んできた悪業はもとより、はるかな前世から積んできた悪業までもが、すべて「仏の種」に変わったことだろう、と日蓮聖人は仰います。
煩悩がそのまま悟りとなり、生死がそのまま涅槃となり、人の身体がそのまま仏の身体になる。このように成仏を遂げられた夫に、あなたは縁があって嫁いでいたわけですから、あなたの成仏もまた疑いないでしょう……と、日蓮聖人は妙法尼を力強く励ましておられます。
こうして妙法尼の夫の一件にことよせて「臨終」を論じてゆく中で、日蓮聖人はご自身のことについても非常に重要な発言を残しておられます。
「夫以(それおもんみれ)ば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく、人の寿命は無常也。出る気(いずるいき)は入る気(いき)を待事なし」
私、日蓮は幼い頃から仏教を学んできましたが、つくづく思うことには、人間の寿命〈いのち〉とは、はかなく短いものです。常に移り変わり、永遠不滅ではありません。吐き出した息が、吸い込む息を待たないほどです。
そこで私は、まずは臨終について学び、その後で他のことを学ぼう〈「されば先臨終の事を習て後に他事を習べし」〉と思ったのです……日蓮聖人は、そう回想しておられます。
命には限りがある。うかうかしていれば、不本意なままに終わりを告げられてしまう。だからこそ命の限り、命の終わり、すなわち「臨終」について心得ておく。その上で、信心をすれば、成仏を決定させ、悪業を清算できる……このお手紙は妙法尼に、そして私たちに、そのように伝えているのです。



