ゼロから学ぶ日蓮聖人の教え

恩に報いる心

報恩抄

【ほうおんしょう】

『報恩抄』は、日蓮聖人がかつての師僧であった道善房(どうぜんぼう)の追善供養のため書き上げた大著で、いわゆる「五大部」の一つとして数えられています。

日蓮聖人は天福(てんぷく)元年〈1233〉、12歳の時に清澄寺(せいちょうじ)に入り、嘉禎(かてい)三年〈1237〉、16歳の時に道善房を師僧として正式に出家しました。その後、『妙法蓮華経』〈以下『法華経』と略記〉信仰に目覚めた日蓮聖人は、念仏信者であった地元の有力者たちから攻撃を受けるようになりました。道善房はこれを憂慮し、聖人の身を案じて清澄寺から退出させました。このように道善房は聖人を大切に思ってはいたのですが、残念ながらその教えに帰依(きえ)することはありませんでした。

道善房は建治(けんじ)二年〈1276〉に亡くなり、その訃報を聖人は身延の山中で知りました。俗世を離れ山にこもっていると世間から見られているため、おいそれとは山を下りられない状況にあった聖人は、弔問するかわりに一書をしたためました。それがこの『報恩抄』で、道善房の墓前と、清澄山中の旭が森で二、三回読み上げよとの指示とともに送付されました(なお旭が森は、修学を終えたばかりの若き日蓮聖人が、布教を開始するにあたり、決意のお題目を唱えた場所としても言い伝えられています)。

その内容は聖人が生涯かけて培(つちか)った仏教の知識と、自身の実践の意義をまとめた、いわば日蓮思想の集大成ともいうべきものです。師匠への成果報告、もしくは最後に法華信仰への改心をうながすとの意味合いも込められていたのでしょう。

その冒頭を飾るのは、「夫れ老狐は塚をあとにせず」という一文です。老いて死期が近づいた狐は、自分が育った巣穴の方角に首(頭)を向けるという。このように動物ですら、育ててもらった恩を忘れないのだから、人間にとっても恩返し(「報恩」)とは、何よりも大事なことである。そして真の「報恩」をはたすためには、すぐれた教えである仏教を極めなければならない。しかし仏教を極めるためには、父母や師匠たちをさしおいて、脇目もふらずに修行・勉強に励む必要がある。仏教の開祖であるお釈迦様も、最初は出家するために親を捨ててしまったが、仏となってからはその功徳で世界一の報恩を果たし、世界一の孝行者となられたのだ… このように、いったんは「恩知らず」に見えることが、仏道という《本当の報恩》のためには必要なのだ。

こうして日蓮聖人は、父母そして師匠の道善房のもとを離れて、仏教探究の道に入ったと本抄で回想し、つづけて、その探究の結果得られた、広くて深い仏教学の知識がまとめられています。そうして仏教の歴史全体を学んだ上で、一番すぐれた仏教とは『法華経』であるとの結論が下されます。

この『法華経』にもとづく宗派としては、中国で天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)が開き、日本では伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)が広めた天台宗があります。聖人もかつてその本山である比叡山で学び、その教えを深く尊んでいます。しかし聖人はさらにそれを乗り越えて、『法華経』の「今まで説かれていなかった教え」を新たに広めようとの決意を表明します。その「今まで説かれていなかった教え」が、三つの法門「三大秘法」として整理され、本抄の終盤で披露されています。

第一に、日本そして世界中の人々が、『法華経』本門*1をお説きになったお釈迦様を御本尊(ごほんぞん)にすべきである。『法華経』の本門では、お釈迦様が過去の仏・多宝如来(たほうにょらい)と宝塔の中に並んで座り、そして真の弟子とされる地涌の菩薩(じゆのぼさつ)を呼び出して、ご自身の正体が永遠であることを明かされました(『観心本尊抄』)。この、永遠の仏たるお釈迦様を御本尊と定めます。

第二に、『法華経』本門に基づく戒壇(かいだん)。「戒壇」とは戒律を授ける場、つまり仏教への入門式を行うための場です。この戒壇については、詳しい説明が残されていないのですが、『法華経』の教えをいただき、その信仰を実現する場として想定されているようです。

第三に、世界中の人が、何よりも優先して「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるべきである、と総括されます。

この、本尊・戒壇・題目の「三大秘法」でもって、日蓮聖人はご自身の教えを整理されました。ご本尊にむかい、戒壇という場に立ち、「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えする…この「南無妙法蓮華経」は、わたくし日蓮の広い慈悲の心によって、はるか未来まで広まり続けるだろう、と聖人は述べています。

そして最後には「花は根にかへり、真味(しんみ)は土にとどまる。此功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし」、咲いた花は元の根にかえり、果実の味は熟れて落ちた先の土にとどまるように、『法華経』の功徳が亡くなった道善房の聖霊に集まることだろう…と、追善の言葉で締め括られます。

 

注釈

*1 本門
『法華経』二十八品の、序品第一から安楽行品第十四までを「迹門」、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八までを「本門」と称す。

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