第25章
●慈悲と救済の働き
観世音菩薩普門品
【かんぜおんぼさつふもんぼん】
無尽意(むじんに)菩薩がお釈迦さまに、観世音菩薩の名前の由来を問うことから始まる本章は、この観世音菩薩の救済の働きに焦点があてられていきます。
勢至(せいし)菩薩と並んで、西方極楽浄土の阿弥陀仏の弟子である観世音菩薩は、娑婆世界へやって来て、この世界の法華経の行者を守護するために大いに活躍されます。
世間の音(こえ)を観じて衆生を救う自在の働きと、この娑婆世界における教化の方法、そして観世音菩薩に対する供養の意義。この三段にわたって、一貫して観世音菩薩の慈悲が説かれていくのが、第25章観世音菩薩普門品です。
観世音菩薩の名前の由来
無尽意菩薩の問いに対してお釈迦さまは、観世音(世音を観ずる)という名の由来を説かれます。観世音菩薩とは、世間の苦悩から切実に免れようと一心に祈る衆生の音声を聞き、その求めに応じてことごとく救い取ってくれる菩薩であることを示され、この菩薩の名を受持し、供養することを勧められます。
娑婆世界における教化の方法~普門示現(ふもんじげん)~
続いて無尽意菩薩は、観世音菩薩はこの娑婆世界において、どのような方法で人々に法を説かれているのかを尋ねます。
ここにおいてお釈迦さまは、観世音菩薩があらゆる人々を救い導くために、相手に応じて三十三種のさまざまな姿に身を変えて現れ、広く活躍されていることを明かされます。
菩薩は慈悲のこころをもって衆生を救済したいと願いますが、その願いを実現するためには、それに見合う力が欠かせません。この点において、観世音菩薩は、深い慈悲のこころをもち、多くの仏に仕えて功徳を積み、自在の力を成就してきたのでした。
「観世音菩薩はかくの如き功徳を成就して、種々の形をもって諸々の国土に遊んで、衆生を度脱す。このゆえに汝等、まさに一心に観世音菩薩を供養すべし。この観世音菩薩摩訶薩は、怖畏(ふい)急難(きゅうなん)の中において能(よ)く無畏(むい)を施す。このゆえにこの娑婆世界に皆これを号して施無畏者(せむいしゃ)とす。」
本章は「普門品」とも称されるように、観世音菩薩の「自在の業(ごう)・普門示現の神通力」が説かれています。前章の妙音菩薩が“現一切色身三昧(普現色身三昧)”の力によって、三十四種の身を現したのと同じく、観世音菩薩もこの三昧のゆえに三十三身を現し、こわがる者に「畏(おそ)れなき心」を施していかれます。
観世音菩薩に対する供養
これを受けて、無尽意菩薩は観世音菩薩に瓔珞(ようらく)の供養*1を捧げるものの、観世音菩薩はそれを受け取ろうとはされません。「私たちを愍(あわ)れむがゆえにお受け取りください」と重ねて捧げると、お釈迦さまも「無尽意菩薩をはじめ、多くの人々のこころを愍れみ、この瓔珞を受け取ってあげなさい」と、この供養を受けるべきことを勧められます。
お釈迦さまの許しを得て、観世音菩薩は衆を愍れむがゆえにこの供養を受け、その瓔珞を二つに分けて、お釈迦さまと多宝仏の塔に奉りました。
お釈迦さまは法華経の教主であり、法華経を説かれた仏さま。多宝仏はその教えが真実であることを証明・讃歎された仏さまです。この二仏は、無上甚深微妙の法華経を象徴しています。
観世音菩薩が自在の業・普門示現の神通力(現一切色身三昧)を獲得し、施無畏者として活躍されるのも、すべては法華経の教えに依るものです。観世音菩薩がはじめ供養を受けることを固辞されたことも、また受け取った後に二仏へ直ちに奉られたことも、法華経への感謝報恩の信仰の表れであり、すべては法華経に帰結することを示されたものでした*2。これまでの薬王菩薩や妙音菩薩と同じく、観世音菩薩もまた、法華経の恩に報いるために、法華経の行者守護の大任を担っているのです。
注釈
*1 この瓔珞の供養は、観世音菩薩普門品では「法施(ほうせ)」と表現されています。これは単なる首飾りという財物の布施ではなく、薬王菩薩の“真心”からの供養と同じく、お釈迦さまのこころに叶った真心から捧げられた供養であることが示されています。
*2 この観世音菩薩の供養も、やはり“真心”からの供養であり、久遠のお釈迦さまの心に叶った“如法”の供養であります。久遠のお釈迦さまのこころに叶って活躍される観世音菩薩に対する供養は、そのまま法華経への供養へと帰一し、また法華経の功徳によって、観世音菩薩は普門示現の救済を行っていかれます。“普門は一門(法華経)に帰し、一門は普門に展開する”という、妙法の妙法たるゆえんが、ここに巧みに示されております。



