ゼロから学ぶ日蓮聖人の教え

花は散り咲き、枯れ草もまた芽吹くのに

上野尼御前御返事

【うえのあまごぜんごへんじ】

今回取り上げる書状『上野尼御前御返事』は、その題に冠されているように、日蓮聖人の信者であった幕府の御家人・南条兵衛七郎〈なんじょうひょうえしちろう〉の妻である上野尼御前に宛ててのお手紙です。「上野」という通称は、南条一族が駿河国富士郡上方上野郷の地頭であったことに由来します。詳しくは『上野殿御返事』のページをご覧ください。

この『上野尼御前御返事』は、弘安四年〈1281〉の正月十三日の日付があり、上野尼が正月のお祝いとして清酒一筒・酒器十個・蒸餅百個・飴一桶・ミカン一籠・干し柿十連を贈ったことへのお礼状となっています。お礼を述べられた聖人はつづいて、上野尼の息子・七郎五郎のことが思い出されると筆を進めます。七郎五郎は前年、十六歳という若さで亡くなっていました。そんな七郎五郎の人となりを、聖人は次のように振り返っておられます。

「心ね、みめかたち、人にすぐれて候し上、男ののう(能)そなわりて、万人にほめられ候しのみならず、をやの心に随こと、水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いへ(家)にてははしら(柱)とたのみ、道にてはつへとをもいき。」

七郎五郎殿は、心根も容姿も優れており、男らしく、どんな人からも褒められるような立派な青年だった。それだけでなく、まるで水が器に、影が身にしたがうように、親の心にしたがう孝行息子だった。家にあっては大黒柱、道にあっては杖になるような頼もしい男子であったので、そんな彼をこんな早くに亡くしてしまった貴女の嘆きはいかばかりであろうか……と聖人は上野尼の悲しみに寄り添います。

この悲しみを、聖人は次のように表しておられます。

「ちりし花もさかんとす、かれしくさ(枯草)もねぐみぬ。故五郎殿もいかでかかへらせ給ざるべき。あわれ無常の花とくさとのやうならば、人丸にはあらずとも、花のもともはなれじ。いはうるこま(駒)にあらずとも、草のもとをばよもさらじ」

季節が巡れば、散ってしまった花も再び咲き始めるし、枯れてしまった草も再び芽吹きます。それなのに、どうして七郎五郎殿は生き返らないのでしょうか。もし七郎五郎殿が「無常」の花や草のようであったならば、歌人の柿本人麻呂が花が咲くのを待ったように、馬が餌となる草が生えるのを待つように、離れずにいるだろうに……と。

ここで「無常」というキーワードが出てきます。「無常」とは、『平家物語』の冒頭の有名な文句「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」で知られるように、すべては儚く移り変わってしまう道理を指します。花が散り草が枯れてしまうように、永遠不変のものはない。我々は老いたくなくても老い、死にたくなくても死んでしまい、どんなに大事なものも手放さざるを得ない。それが人生第一の苦しみである……これが本来は、仏教の考え方の基本でした。

ところが仏教が特に日本に伝わってからは、「永遠不変のものはない」という諸行無常の道理は動かないので、それこそが「永遠不変である」という、いわば逆転の解釈がなされるようになりました。つまり桜も紅葉も咲き散ってしまう「諸行無常」ですが、毎年同じように咲き散るという点では「永遠不変」=「常住」である……「桜は咲く咲く常住、紅葉は散り散り常住」というこのドンデン返しは、四季の花鳥風月を愛でる日本らしい発想といえるかもしれません。そこで日蓮聖人も「無常の花と草のようであったならば〈無常の花とくさとのやうならば〉、かえって永遠不変だったのに」と逆説的に述べておられるのです。

しかし、そうはいっても大切な人を亡くした喪失感は、そんな道理では埋めることはできません。確かに季節が巡れば花は再び咲き、草は再び芽吹くように、命は永遠不変の原理なのかもしれないが、しかし目の前の問題として、死別した愛する人と再会することはできない。咲く咲く常住、散り散り常住、永遠の命の世界に何をせずとも包まれていても、私たちは憂い悲しみに沈んでいる……。私たちが日々読誦している『法華経』如来寿量品第十六の一節に「我浄土不毀 而衆見焼尽 憂怖諸苦悩 如是悉充満〈この世は不滅であるのに、人々はすべてが焼き尽きて、憂いや恐れや苦悩がこのように充満していると見る〉」とある通りです。

ともかく、七郎五郎は亡くなってしまった。もし貴女が、再び彼に会える場所を聞いたならば、そこが天であれば羽がなくとも昇ろうとするだろうし、そこが異国であれば船がなくとも渡ろうとするだろうし、そこが大地の底であると聞けば、地面を掘り起こすことだろう……と日蓮聖人は言われます。

「ゆきあう(行逢)べきところだにも申をきたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこしへもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をもほらざるべきとをぼしめすらむ。」

しかし天や異国、地底に行かずとも、亡き息子と易々と再会できる。釈尊を導師として、霊山浄土に行けばよいのです……と日蓮聖人は決されます。

「やすやすとあわせ給べき事候。釈迦仏を御使として、りやうぜん浄土へまいりあわせ給へ」

この言葉には、「『法華経』の信心を貫徹して一生を終えれば、死後の世界で息子と再会できる」という意味合いも当然あることでしょう。しかし一歩踏み込んで考えてみますと……『法華経』は、釈迦仏が「久遠の命を持つ仏」として永遠に生き続けており、その釈迦仏がいらっしゃるこの現世こそが仏の浄土であると説く教えです。この信仰に立つならば、死別してしまった息子とも、仏の久遠の命を介して確かにつながっている。つまり現世にあって生きながら、死者と共にあって再会できるという答えが出てくるはずです。だからこそ、

「南無妙法蓮華経と申女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。」

南無妙法蓮華経と唱える母が、大切に思っている子に会えないはずがない……そう日蓮聖人は結んでおられます。

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